指示はどこから誰が出すのかが本質だ。
どこの誰に頭を向けているのか、はある。そういう違いは確かにある。
外形的には同じ事柄に直面しているように見えて、頭を向けている先が違う。
または頭(ヘッド・親分)が違う。


道とは、首(頭)と共に進む


うなった。なるほど。
下のセウォル号の登場人物はみな、首をもっていた。
みなそれぞれ首はどこかに向いていたし、結びつきのある親分もいただろう。
彼らの生き様は道になった。
道は、首(頭)と共にあった。
アンネ・フランクはナチスの極限の悪意の中にあって、人間の善性に目を向けていた。
みんな何かにいま、首を向けて、道にいる。n120134


船が転覆して、沈みそうだとする。
みな外に出ようとしているし、救命ボートも探している。混乱している。
この際、人間が2種類に分かれる。
どう別れるだろうか。
セウォル号で真っ先に逃げた船長は記憶に新しい。
動くな、と命令し、そのせいで死にかけている高校生たちを置き去りにして自分だけ逃げた。
危機に瀕したとき、人間の身体は自動的に逃げようとする。生存本能だ。
本能自体は何も悪くない。だが、この瞬間を迎えるまで、69歳の船長には無数の選択肢があった。

日曜劇場のJIN-仁-緒方先生の
「道を開くということはな、自分だけの逃げ道をつくることやない!」
これが本質で、自分が助かるかどうかを一番に気にしているような人と、そうではない人に分かれるという当たり前に近いことが起こるような気がする。
船長や乗務員、運航会社の無責任さが際立つ一方、最後まで船内に残り、救命胴衣の自身の着用を後回しに乗客への配布を優先し、避難を呼びかけるアナウンスを最後まで続けた、22歳の女性乗務員の行動が生還者の証言から明らかになっている。事故後早くに死亡が確認された唯一の乗務員が大学を休学した入社2年目の彼女だった。
最後まで学生を助けようとして亡くなった教師も3名いた。生徒より先にパニックになった教師もいた。生徒の中にも自身より先に誰かを助けようとして亡くなった方もいた。n120000
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