いまなにかが起きていることはこの世界をぐるっと見渡せば一目瞭然だ。


自然界も人間界も、不可視の世界も、
なにか(重大な変質)が起きていることは間違いないと多くの人が感じると思う。


風が変化したとき、帆船はマストを変化させる。
風の変化に対応して、風の受け方を変化させる必要がある。
わたしたちもそれは変わらない。


起きているなにかの特定が容易ではなくとも、
風の受け方・現実の受け止め方を変化させる必要はもう生じている。n150025



非暴力・非宗派のイラク反政府デモがもたらす希望と混乱
Between Hope and Fear
2019年12月12日(木)19時45分
伊藤めぐみ(イラク在住ジャーナリスト)


<宗派対立が激しかったイラクで非暴力・非宗派のデモが頻発。抗議者がつくり上げた秩序はこの国の新たな希望になるのか>


それは一瞬、「学園祭」のように見えた。チグリス川沿いにテントが張られ、炊き出しのトマトスープが振る舞われる。あちこちに設置されたスピーカーからはアラブ音楽が爆音で流れる。


通り沿いで「私たちは国が欲しい」とアラビア語でプリントされたTシャツを販売する男性がいた。「普段は花屋をしているんだけどね」。そう朗らかに言った後にこう付け加えた。「昨日、深夜近くまで店を開いていたときに、通りの向こう側に爆弾のようなものが落ちてきたよ」


ここは11月中旬のイラクの首都バグダッド。反政府抗議運動の現場だ。


あらゆる層が集まるデモに


一連の反政府抗議運動は10月上旬に始まった。既に死者は400人を超え、アデル・アブドル・マフディ首相が辞任する事態に発展している。


イラクは2003年のイラク戦争後、激しい宗派対立に苦しんできた。新政権はそれまでサダム・フセインの政権に弾圧されてきたシーア派が中心となり、不満を募らせたスンニ派の一部がテロ組織のアルカイダや「イスラム国」に取り込まれた。分断された社会では、宗教指導者や政党がかつてなく力を持ち、政権への抗議運動はこれまで彼らを中心に行われてきた。


しかし今回のデモは毛色が違う。まず抗議行動の雰囲気が明るく、多種多様な人たちが集まっているのだ。


抗議運動に来る人たちがまず集まるのは「タハリール広場」。普段は車通りの多いロータリーだが、デモの今は歩行者天国になっている。


明るいピンクのシャツに白いパンツルックの2人連れの女性がイラク国旗を持っているのに出くわした。


「私たちはキリスト教徒。いつもはこの向こうの教会に行くけど、今日はデモに来た。失業問題が深刻で、息子たちはもう成人しているのに仕送りが必要な状況。これはイラクの問題で、宗教や宗派は関係ない」


今回のデモの要求は、まず高い失業率の改善だ。イラクの若者の失業率は36%に上る。次に汚職の撲滅。イラクは世界の汚職ランキングで180カ国中12位に位置し、汚職によって公共インフラの整備が進んでいないと人々は考える。


そして、これらのデモが拡大したきっかけに、イスラム国掃討作戦に貢献した人気の軍人アブドゥル・ワハッブ・サアディの解任への抗議がある。サアディはシーア派だが、汚職まみれの政治家と違い、宗派を超えて信頼されていた人物だった。現政権の都合で突然解任されたことに人々は怒った。


シーア派の人々の間でも、同じシーア派政権に不満がある。これら全ての問題は、同じシーア派であるイラン政府がイラクに介入をしているために起きている、という疑念が抗議運動となって爆発したのだ。


数年前までイラクを混乱に陥れたイスラム国騒動が、「宗教の問題で争っている場合じゃない」と人々の視点を変えさせた側面もある。


この運動を牽引しているのが若者であることも見逃せない。中部カルバラ出身の医学生ゼインはこう話す。


「平和的にやるというのを中心に据えてやっている。この原則を変えちゃいけない。私たちは21世紀にいるんだ」


抗議する人たちは信念を持ちつつ、運動を成功させるため役割分担を成立させている。


まず第1の役割を担うのは前線にいる若者たち。彼らは口々に話す。


「ただイラクの旗を振ってそこにいるという抗議なんだ。私たちは暴力を使わない」


この抗議行動はタハリール広場を占拠する動きと、その近くのチグリス川に架かる橋を渡って政権の中枢機関が集まる「グリーンゾーン」に向かおうとする動きで成り立っている。グリーンゾーンに向かう抗議活動と治安部隊の対峙は熾烈だが、抗議側は石を投げる人はいても、武器を手に入れることがそう難しくはないイラクで基本的には皆、丸腰だ。


一方で治安部隊の攻撃は日に日に強まっている。当初はゴム弾なども使っていたが、実弾を使う数が次第に増えているという。


最前線に立つデモ参加者の中には、戦闘経験のある元兵士も多くいた。


「私は元兵士。人民動員隊の一員だ。モスルやラマディでイスラム国と戦っていた。このおなかの傷痕はその時の戦闘の傷だよ」と、南部出身の元兵士が説明する。


人民動員隊はもともとイスラム国との戦闘のためにシーア派指導者アリ・シスタニの宗教令で集まった民兵で、後に正規軍に昇格した兵士たちだ。貧しい家の出身者が多く、イスラム国との戦闘で「荒くれ者」として噂された。そんな彼らがデモの現場で安全管理に当たっているのは意外な光景だった。


「私は人民動員隊を解雇された。仕事が必要なんだ」と、中南部ディワニヤ出身の青年アンマールは言う。「自分の信念からイスラム国と戦うために参加した。給料もないのは分かっていたからいい。でも政府はずっと腐敗している。人民動員隊に入ったのは国や人々を守るため。今ここにいるのも国や人々を守るため」。そうバグダッド出身のジャーシムは話した。


デモで第2の役割を担うのが、飛んできた催涙弾を処理する若者たちだ。非暴力の運動であっても加えられる攻撃には対処せねばならない。


「マスクとグローブをして最前線に立ち、飛んできた催涙弾をつかんで水に入れて止めるのが私たちの役割」と、普段はバグダッドの大学でロシア語を専攻しているというイリヤスが話した。高校生や大学生の参加もかなり多い。


取材中、トゥクトゥクと呼ばれる三輪自動車の運転手たちが何度も猛スピードで走り抜けていった。この運転手たちが第3の役割だ。前線で待機し、けが人が出るとトゥクトゥクに患者を乗せ近くの医療テントまで運んでいく。運転手は寄付などでガソリン代を賄いつつ、志願して三輪車を走らせている。


そして患者たちを受け取る第4の役割が医療関係者。比較的安全な場所にある広場や通り沿いにいくつも設置されたテントで手当てを行う。催涙弾が放たれると、猛スピードで走るトゥクトゥクが小さなテントに4人、5人と患者を運んで来るのにも遭遇した。


「毎日、こんな状況だ。重症の患者はテントではなく病院に運ばれるが、病院によっては患者がそこで逮捕されるということもある」と、公立病院からやって来た看護師ナディアが説明した。


ほかにも壁に絵を描いて抗議する人もいれば、炊き出しをする人、広場の掃除をする人たちもいる。これらの運動には明確なリーダーや組織があるわけではない。昔からの活動家が暴力を使わないようアドバイスをしているというが、基本的には若者を中心にした自主的な動きだ。


しかし、抗議者たちが対峙しているイラクの治安部隊は一体何をしているのか。覆いで隠されたテントで治安部隊から暴行されたという男性たちが匿名で話を聞かせてくれた。


「私はフラニ広場で機動隊に激しくたたかれた。自分より年を取った男性が捕まえられたので私を代わりに連れて行けと言った。そうしたら5メートルの橋の上から私もその男も突き落とされたんだ。私は両腕を骨折したが、病院に行ったら逮捕されてしまう。だから手は動かないままだ」


治安部隊の正体について人々は口々にこう言う。


「イラク軍の制服を着ているが本当にイラク軍かどうかは分からない。民兵も交ざっているかもしれない」


真偽は分からないがイラン政府が軍を送っている、イラクやイランの民兵もいるという話はさまざまな参加者から聞かれた。


男たちに囲まれながら話を聞いていると、テントの外が突然、騒がしくなった。催涙弾が目に突き刺さったという男性が救急車で運ばれていくところだった。


本来、催涙弾は大きな危害を加えることなく集まった人たちを分散させるために使われる。しかし治安部隊は頭部を狙い、殺傷目的で使っている。また彼らは使用期限が過ぎ、威力が増した古い催涙弾を使用している。呼吸困難に陥れば死に至ることもある。


希望か、悲劇の繰り返しか


バグダッドのデモ現場も、それが持つ意味は複雑だ。


人々が暴力を使わず、宗派を問わず一定の秩序をつくり上げたことに希望も感じる。腐敗した政治家や宗教指導者が国を破綻させたのとは対照的だ。しかしイラク現政権と対峙するのは容易ではない。


スンニ派地域であるファルージャの人たちがこう話してくれた。


「政府が変わってほしいと私たちも思っている。でも2013年に自分たちは平和な抗議行動をしていたにもかかわらず、政府に武力で押さえ付けられて死者が出た。抗議運動は、多くの人が殺されるからやめたほうがいい」


今回の運動は宗派を超えてはいるが、シーア派が中心であることには変わりない。問題は政治だけでなく、男女観、宗教観、氏族関係の問題も根深い。


抗議者たちは外国人である筆者に「聞け」「見ろ」と自分の思いを語り、治安部隊が使用した薬莢を見せに来た。そして口々に国連の介入を求める発言をする。特定の外国政府の支援は要らないが、複数の国で現政権の暴力を止めてほしいということなのだ。


都合のよいときだけ他国に介入され翻弄されてきたイラクにとって、これは当然の要求である。もちろんその中にはイラク戦争開戦を支持し、その後の混乱に有効な打つ手を持たなかった日本も含まれる。


イラク戦争から15 年を経て芽生えたこの動きは希望か、新たな混乱の始まりか。人々の我慢は既に限界を超えた。イラクの現政権の暴力を食い止める力はイラク国内にはないと、イラク人は感じている。


<本誌2019年12月17日号掲載>



アメリカのドナルド・トランプ大統領は12日、米誌タイムの「今年の人」に選ばれたスウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)について、自分の感情のコントロールに取り組むべきなどと批判した。これに対し、トゥーンベリさんはトランプ大統領の言葉を引用し、からかうように対抗した。


トランプ大統領はこの日、トゥーンベリさんの選出について「すごくばかげている。グレタは自分が抱えているアンガーマネジメント(怒りのコントロール)の問題に取り組んで、友人と一緒に古きよき映画を見に行くべきだ」とツイート。


「落ち着けグレタ、落ち着け!」(Chill Greta, Chill!)と付け加えた。


するとトゥーンベリさんは、自分のツイッターの自己紹介文を次のように書き換えて対抗した。


「自分のアンガーマネジメント問題に取り組むティーンエイジャー。現在は落ち着いて、友人と古きよき映画を見ている」


(ばかげているとトランプ大統領は言ったが、ばかげてはいない。グレタさんの役割はグレタさん個人の地平ではなく、この時代の背景が擬人化したようなものだ。歴史において巨大で本質的な変化は、いつも外からやって来る。わたしたちはグレタさんをタイムの今年の人に据えるほどのこの背景といま向き合わなければならなくなっているn150000)



トランプ大統領弾劾決議案、賛成多数で可決 米下院司法委
毎日新聞 2019/12/14 00:36


米下院司法委員会は13日午前(日本時間14日未明)、ウクライナ疑惑に関するトランプ大統領の弾劾訴追決議案を賛成多数で可決した。病欠を除いた出席議員40人のうち、野党・民主党の23人全員が賛成、与党・共和党の17人全員が反対した。


民主党は来週の下院本会議で決議案を採決し、トランプ氏を弾劾訴追する構え。過半数の賛成で訴追され、年明けから上院での弾劾裁判が始まる。


トランプ氏が弾劾訴追されれば、米大統領としては3人目となる。



北方領土「2島引き渡し」も困難 安倍政権、日ロ長門会談から3年
共同通信社 2019/12/14 16:13


安倍政権内で14日までに、北方領土交渉の落としどころとして検討してきた譲歩案の「2島引き渡し」について、近い将来にロシアから同意を取り付けるのは困難だとの見方が強まった。背景には「ロシアに態度軟化の兆しが見えない」(政府筋)との判断があり、首相官邸や外務省で諦めムードが漂う。交渉のヤマ場と目された2016年12月の山口県長門市での日ロ首脳会談から、15日で3年を迎える。


北方四島のうち色丹島と歯舞群島だけをロシアから譲り受けることで問題の決着を図る2島引き渡し案に関し、政権幹部は「それでもロシアはうんと言わない。協議には時間がかかる」と強調した。



(韓国の出生率)
80~90年代にあった「男児至上主義」の負の遺産


現在20代~30代の女性が生まれた1980年代~90年代の人口統計を見るとその異様さが窺える。人口学的には、女児100人に対し、105~107の男児が生まれるのが、自然性比であるのに、1980年代中盤から男児の出生数が急激に伸び始めるのだ。1990年の出生時の性比は、男児116.5となっており、地方都市に限れば、慶尚北道で130.7、大邱で129.7と異常な数値。ちなみに第3子以降の出生性比は男児が193.7まで跳ね上がる。


韓国・国立中央医療院の崔アンナセンター長は、「当時の韓国社会では男児至上思想がはびこっていた。更に超音波検診の導入により、妊娠早期での性判別が可能となり、(夫婦、家族の意思による)女児に対する堕胎が実施された」と言う。


この当時の女児選別堕胎が、現在の超低出産の引鉄となった。


韓国で一番出産率の高い30歳、1988年生まれの人口統計を見ると、1982年85万人の出生数に対し、1988年は63万人と激減。たかが6年の間に20万人も出生数が減ったことになる。


「対岸の火事」で済ますのか?


女児選別堕胎による影響や、子を産み育てる世代の男女間非均等が、韓国が世界で初めて出生数0人台を記録した大きな要因だ。


ちなみにこの男女不均等の出生数は1980年代中盤から2000年まで続く。



「あの戦争」から、もう七十年がたったのだ。それは、日本人にとって、ただ戦闘に巻きこまれた、ということ以上に過酷な体験だった。
「戦争」とは、その名の下に、あらゆる自由が奪われる、ということだった。「戦争」が行われるために信じさせられていたことは、みんな嘘っぱちだった。善き人、若い人、大切な人は、みんな帰って来なかった。そして、なにより困ったことに、どこかにものすごく悪い人がいて、そのせいで「戦争」が起こり、だから、それ以外の国民はみんな被害者で、胸を張って生きていくことができる……というわけではなかったのだ。
みんなが少しずつ手を汚していた。みんながどこかでなにか「悪」に染まっていた。なにより大切なのは自分だと思っていたじゃないか。


時代やシステムの変わり目には、「空気を読まないこと」が多発します。常識からみてしまうと、それは単に「空気を読まないこと」として一方的に貶められてしまいますが、実はそこにこそ新たなものが生み出される胎動があるのではないか?


お二人の姿勢から感じたことは、「一つの作品から何かを学び尽くす」ことの素晴らしさです。又吉さんは、太宰作品を中学生のときに読み始めて以来ずっと、定点で太宰を読み続けているそうです。そして毎回違うところにひっかかるそうです。そのつど、発見があり、全く飽きることがないといいます。私には、ここまで徹底して、一つの作品に向き合うことがあっただろうかということを反省させられました。


「何かを学ぶこと」の素晴らしさ。それは役に立つ、立たないなどという次元を超えています。


敗戦という極限状況の中で、死に物狂いで次の世代に何かを教えようとしていた人々、そしてそこから何かを学び取ろうとした人たちの感動的なエピソードを、哲学者の鷲田清一さんが著書の中で紹介されていました。少し長いですが、引用させてください。





劇作家であり美学者でもある山崎正和が敗戦後の満州で受けた教育のことである。外は零下二十度という極寒のなか、倉庫を改造した中学校舎は窓ガラスもなく、寄せ集めの机と椅子しかない。引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝説を読み聞かせたり、中国語の詩を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた手回し蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分一人の権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった」(「もう一つの学校」、山崎正和『文明の構図』所収)。


ーーー鷲田清一「京都の平熱」より





極限状況にあった彼らが死に物狂いで伝えようとした「知」は、すぐに役立つ実学などではありませんでした。それは「マルティン・ルターの伝説」であり、ラヴェルの「水の戯れ」であり、ドヴォルザークの「新世界」でした。何かを教え、語り継がなければ、「人間の尊厳」も「文化としての日本人の系譜」も息絶えてしまうという死に物狂いの動機。こんな思いに支えられてきたのが本物の「知」ではないでしょうか?


翻って現在、私達が置かれている状況はどうでしょう? 「すぐに役に立たない分野は廃止を」「社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組め」等々の掛け声の下、教育機関の再編成が推し進められていると聞きます。





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