対話。手探り。


寄り添うということは対象と同化していくこと。このパーツはここに、あちらのパーツはこの形でないとおかしいと「押し付け」ていくことは同化とは呼ばない。
テレビ・ラジオの周波数合わせと同じ。共振するまで同化していく。
この世のあらゆる活動が「周波数合わせ」だとしたら、その「合わせ」に払う努力、姿勢に差が生まれていくことは体感としてわかる。
いつも継続的に、合わせに努力を払うことは簡単なことではない。
誰だって愚痴や不平や疲労感と消耗に心を乱される。
首(が向いている方向)と共に行く「道」がいま描かれている。n170042


転がる足跡を追えFiora


なんだか詩的なことを言われた。自ら踏み出そうとした足跡ではなく、転げ落ちるように、導かれたかのような形跡を数え上げ、クラウド側の意図や本線を見極めてほしいということだろうか。n170000






「戦争は有限期間の『過程』である。始まりや終わりがある。多くの問題は単純化して勝敗にいかに寄与するかという一点に収斂してゆく。戦争は語りやすく、新聞の紙面一つでも作りやすい。戦争の語りは叙事詩的になりうる…(中略)…指導者の名が頻繁に登場し、一般にその発言が強調され、性格と力量が美化される」


「戦争が『過程』であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の『状態』である。だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い。…(中略)…平和維持の努力は何よりもまず、しなやかでゆらぎのある秩序を維持しつづける努力である。しかし、この“免震構造”の構築と維持のために刻々要する膨大なエネルギーは一般の目に映らない。平和が珠玉のごとくみえるのは戦時中および終戦後しばらくであり、平和が続くにつれて『すべて世はこともなし』『面白いことないなぁ』と当然視され『平和ボケ』と蔑視される」
(中井久夫著「戦争と平和 ある観察」より)



キーワードは「徹底した言語化」です。良寛はどん底目線から見たもの、感じたものを自分の心の中だけに留めておくのではなく、常に漢詩や和歌で言語化しようと試みています。


良寛は晩年、老いや病に苦しめられた。彼の漢詩や和歌にはその克明な状況すら描かれている。そこには、全てを言葉で表現し尽くすことで、「老い」や「病」「死」と対峙し、それを人生修行の場としようという良寛の強靭な精神がみえてくる。どんな苦境にあっても、自らを見つめ言葉で表現し尽くすこと。こうした並の表現者には真似できない旺盛な批評精神こそ、良寛の漢詩や和歌の真髄なのである。


良寛の和歌や漢詩、手紙などを読んで一番感じたことは、よくぞまあこんなことまで言葉に表現しているなあということ。私にとって良寛のイメージは、飄々と自由気ままに物事を楽しんでいる……というものだったので、老いについての嘆き、体の痛みについての訴え、病状のこまごまとした描写等々、負の部分も含めて、およそ表現していないことがないというくらい全てを表現しく尽くしていることに驚きました。


良寛が出家して仏教を学んでいた時期は、禅宗の世界では、散逸していた道元の原稿などが収集・編纂され研究が旺盛に行われていた時期と重なり、先人たちの著作がまとまって読めるようになっていたと、中野東禅さんはいいます。いわば、「言語化」というものが大きな注目を集めていた時代。その渦中にいた良寛は、修行中に、この「言語化」というものに目を開かれていったのではないでしょうか? 約500の漢詩、約1400首の和歌という数多くの作品を遺した背景にはそんなこともあるのではないかと思います。


良寛は、「嘆き」や「愚痴」のようなものも含めて、まるで「観察日記」でもつけるように、一つ一つをありのままに書き留めています。そうすることで、「悲しみ」や「老い」、「病」、「死」までも冷静に受け止め、あたかも人生全てを修行の場としようとしていたようにも思えます。では、そうした「言語化」を通じて、良寛は何をしようとしたのか? 実はそれが一番大事だと思うのです。そこにあるのは、「自分自身」や「自分とは異なるもの」との徹底的な対話と、それらをより深く理解しようとする強靭な意志ではないかと思います。


今の世の中、インターネットやSNSの発達で、どんな人でも容易に表現活動ができる時代となってきました。ちまたには「自分自身」や「自分の意見」を語る言説であふれています。でも良寛のような「言語化」ができているのかというと、必ずしもそうでもないように思えます。全てを敵と味方だけに分けてしまう図式的な思考。自分とは少しでも異なる意見に対して「決めつけ」「レッテル貼り」をして排除してしまい、そこで思考停止してしまう態度。さまざまな意見に耳を澄まし、より深くその真意を知ろうとする意志をもたない怠慢さ……私自身の反省も含めて思うのですが、このような態度には、良寛のように「言語化」の先にみえてくるものがないように思えるのです。


良寛はこれらの態度とは真逆でした。どんな小さな声も聴き逃さない繊細さ、自分とは異なる人々への赦しと限りない慈愛、自然から豊かなものを汲み取ろうとする意志……良寛の漢詩や和歌からみえてくるのは、全てをありのままに受け入れながらも自分を決して見失わない「しなやかさ」です。



目的:景観保全と野生動物との棲み分け



できるかぎり痛みを与えない方法での共存を目指すしかない。勝手な理屈を押しつけてきたのも、いま押しつけているのも人間側だ。n


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