武井壮、SNSの誹謗中傷に警鐘 後輩の女性アスリートが被害「よってたかって薄汚い言葉で容姿を揶揄したり、許される訳ないだろう?」
報知新聞社
2019/12/12 17:42


タレントの武井壮(46)が12日、自身のツイッターを更新し、エスカレートするSNSでの誹謗中傷に対し警鐘を鳴らした。


武井は11日のツイッターに「オレの仲良い女性アスリートがネットの書き込み見て泣きながら相談してきてさ『こんな事なら強くならなきゃ良かった』ってよ。。そんなことで輝きは無くならねえから安心しろよ」と後輩の女性アスリートが涙を流しながら相談しに来た事を明かし、「罵声浴びせられたり、いじめられたりしてるみんなさ、そんな薄暗いとこだけが世界じゃねえから、山ほど幸せになろうな!」と勇気づけていた。


この日、改めてSNSへの誹謗中傷について「『悪口見るのが嫌ならネットやSNSを見るな』というのは正気で言ってるのかね?」と一部ユーザーの声に疑問を投げかけ、「ネットもSNSも今や特別でも最先端でも一部の人達の遊び場でもない。誰もが使う文化のひとつだ。それを『人を貶す』という言葉の暴力を平然と行使する一部の人間のために使えなくなるなんておかしいだろ?とつづった。


続けて「『人を傷付ける者』が自由を手にして『傷つけられた者』が自由を奪われるなんてことあって良い訳ないだろう? 議論や批評は存分にすれば良い」とした上で、「だが、人の容姿をただ貶したり、知りもしない人間性を貶めたり、性的な言葉を投げ付けるなんて事が当たり前で正当だと思ってるのか? もう一度考えようぜ」とした。


誹謗中傷を受けた後輩の女性アスリートについて「後輩のスマホには見るに耐えない罵詈雑言が並んでたよ」と明かし、「アスリートとして感動をくれた本当に素敵な人物に、よってたかって薄汚い言葉で容姿を揶揄したり、明らかに性的な表現で辱めたりだ、許される訳ないだろう? 日本の美しい言葉、日本人の礼儀正しさ、日本文化の奥深さは微塵も感じられないものだ」とつづった。


誰もが気軽にネットを使う現代において「20年前の掲示板で、ネットの隅で許されてた時代とは違うんだよ」とし、「芸能界だって、ひとつのミスで仕事も人生も傾いてしまう時代だよ。そんな時代に『会ったこともない人』に『誰でも見られる場所』で『自分は隠れて暴言を吐く』ことで『人を傷付けて自分だけが満足する』こんな卑怯なことないだろうよ。。」とツイートした。


(デイリースポーツ 2019/12/13 13:37)
タレントの武井壮が13日、ツイッターを更新。以前からネットでの誹謗中傷について「苦しんで死ぬ人もいるならもうネット上のお遊びじゃねえぞ!」と訴えていることに「言論の自由を奪っている」と指摘する投稿を取り上げ「言論の自由は決して人を馬鹿だのアホだの醜いだのと薄汚い言葉で『罵る』権利ではない」と訴えた。


武井は以前からネットでの匿名の中傷、悪口について厳しい批判の声を上げてきた。「指殺人」などと呼ばれるほどエスカレートしている現実に「苦しんで死ぬ人もいるならもうネット上のお遊びじゃねえぞ!」などと訴え、親しい女性アスリートからも泣きながらネットの中傷を相談されていることも明かしている。


これに一部から「言論の自由を奪っていて、そういうスタンスが戦前の挙国一致体制を作ってしまったのではないか」などと意見する声が上がった。武井はこの意見をリツイートすると「こういうふうに『言論の自由』や『表現の自由』を勘違いして履き違えてる人がまだいるんだなあ」と残念そうにつぶやいた。


そして「言論の自由は決して人を馬鹿だのアホだの醜いだのと薄汚い言葉で『罵る』権利ではないよ」と訴え「他人の尊厳を傷付けたり、他人の健康や生命を侵害する『言論の暴力』に自由など認められる筈が無いよね」ともつづった。


武井のつぶやきに、ネット上で殺人事件の関係者と中傷され続けたスマイリーキクチも反応。「『自由=何をやってもいい』そう思っている人が多数います。悪口や脅迫や差別は自由の範囲ではないんですよ。それは自由ではなく無法」などと武井の意見を後押しした。


(前からいい男だなと思っていたけど、今回のことで改めてそう思った。武井壮さんのいいところは言語化能力にあって、彼個人の運動能力とか学習能力よりも大きい気がする。こういうことは誰が言うかが大事なこと。心から賛同しているn140003)



濃姫は、斎藤道三の娘で、母は正室の小見の方。『美濃国諸旧記』では、小見の方は、東美濃随一の名家であったという明智氏の出身であり、濃姫は正室唯一の子であったとされる。小見の方は、『系図纂要』『明智氏一族宮城家相伝系図書』では明智光継の娘、光綱の妹とされるので、(一説に光綱の子という)明智光秀の叔母にあたることになり、濃姫と光秀は従兄妹の関係にあったはずだが、光秀の出自自体に不明な点が多く、諸説があって正確な続柄はよく分からない。しかし恐らくは明智の同族ではあるのだろう。


生年を記した書物は『美濃国諸旧記』しかないが、濃姫は天文4年(1535年)の生まれだという。これは信長よりも1つ年下である。


(通説によれば)天文10年(1541年)頃、斎藤道三は守護・土岐頼芸を放逐し、その連枝を殺害して美濃国主となった。しかし、依然として土岐氏に従う家臣も多く、国内の秩序は乱れていた。そこで、頼芸より下賜された側室・深芳野の子である長男・義龍を頼芸の落胤であると称して美濃守護に据えた。


しかし天文13年(1544年)8月、斎藤氏の台頭を嫌う隣国尾張の織田信秀は”退治”と称して土岐頼芸を援助して兵5千を派遣し、越前国の朝倉孝景の加勢を受けた頼芸の甥・土岐頼純(政頼)が兵7千と共に南と西より攻め入った。斎藤勢はまず南方の織田勢(織田寛近)と交戦したが、過半が討ち取られ、稲葉山城下を焼かれた。同時に西方よりも朝倉勢が接近したため、道三はそれぞれと和睦して事を収めることにした。織田家との和睦の条件は信秀の嫡男・吉法師丸(信長)と娘とを結婚させるという誓約であり、他方で土岐家とは頼芸を北方城に入れ、頼純を川手城へ入れると約束した。


天文15年(1546年)、道三は朝倉孝景とも和睦し、土岐頼芸が守護職を頼純に譲るという条件で、新たに和睦の証(人質)として娘を頼純へ輿入れさせ、頼芸と頼純を美濃に入国させた。主筋の土岐家当主への輿入れであることから相応の身分が必要との推測から、この娘は道三の正室を母とする濃姫であった、とする説がある。この説に従えば、濃姫は数え12歳で、美濃守護土岐頼純の正室となったことになる。


信秀との約束は一旦保留となったが、織田・朝倉の方でも道三を討伐しようという考えを捨てておらず、天文16年(1547年)8月、土岐頼芸と頼純に大桑城に拠って土岐氏を支持する家臣団を糾合して蜂起するように促した。道三はこれを知って驚き、織田・朝倉勢が押し寄せる前に大桑城を落とそうと大軍で攻め寄せたので、頼芸は命からがら朝倉氏の越前国一乗谷に落ち延びた。9月3日、信秀は再び美濃に侵攻して稲葉山城下を焼いたが、22日の夕暮れに退却しようとしている所を斎藤勢に奇襲され、敗北を喫した。


土岐頼純は、『美濃国諸旧記』では同年8月の大桑城落城の際に討ち死に、または同年11月に突然亡くなったとする。前出の同一人物説では、いずれにしろ濃姫はこの夫の死によって実家に戻ったと推測される。


天文16年から翌年にかけて、道三と信秀は大垣城を巡って再三争ったが、決着が付かず、和睦することになって、先年の縁組の約束が再び持ち上がった。『美濃国諸旧記』によれば、信秀は病気がちとなっていたために誓約の履行を督促したとされ、天文18年2月24日(1549年3月23日)に濃姫として知られる道三の娘は織田信長に嫁いだ。媒人は明智光安であったとされる。この時、濃姫は数えで15歳であった。一方で『信長公記』によれば、織田家臣の平手政秀の(個人的な)政治力で和睦と信長の縁組みがまとめられたという。


『絵本太閤記』と『武将感状記』のよく知られた逸話に、結婚の1年後、濃姫が熟睡すると信長は毎夜寝所を出て暁に帰るという不審な行動を1か月も続け、浮気を疑う濃姫が尋ねると、信長は密計を図っていて、謀叛を起こす道三の2人の家老(堀田道空、春日丹後守)からの連絡を待っているのだと答えた。濃姫はついにその旨を父に知らせると、道三は信長の離間策にはまって、家老の裏切りを疑って殺害してしまったというものがある。ただし、この逸話に相当するような、道三が実際に家老を殺害した記録は存在しない。


天文22年(1553年)4月には、信長と道三が正徳寺で会見を行っているが、先年の婚儀以後、濃姫についての記載は『美濃国諸旧記』から途絶える。道三の遺言でも一言の言及もない。他方で、『勢州軍記』『総見記』には、信長の御台所である斎藤道三の娘が、若君(御子)に恵まれなかったので、側室(妾腹)が生んだ奇妙丸(信忠)を養子とし嫡男としたという記述がある。


斎藤家の菩提寺常在寺に父・道三の肖像を寄進した(時期不明)と寺伝にあるのを最後に、濃姫は歴史の記録から完全に姿を消した。このために濃姫は没年も不明であり、菩提寺も戒名も特定されていない。



中国人の訪台で大規模な文書偽造横行か、台湾当局が捜査
AFPBB News
2019/12/12 21:23


【AFP=時事】台湾検察当局は、中国政府関係者らによる訪台の便宜を図るため、文書を偽造していたとされる複数の旅行会社や民間団体に対する捜査を開始した。台湾の安全保障の侵害に当たるとの懸念も生じている。


台北地方検察署は11日、中国人らが「事業交流」用の許可証で台湾を訪問できるよう身元を偽装した疑いで、容疑者10人を取り調べ、5か所で家宅捜索を行ったと発表した。


検察側は、進行中の捜査に関する詳細の公表は差し控えるとしているが、現地メディアは捜査筋の話として、2017年以降、多数の政府関係者を含む中国人約5000人が、この偽装工作を悪用して台湾を訪れたとみられると報じている。


台湾紙の自由時報(Liberty Times)によると、ある人物がまず約10のペーパー民間団体を設立。そして複数の旅行会社と協力し、中国政府職員らによる訪台の便宜を図っていたという。


同紙の報道では、問題の旅行会社のうち1社は、反社会的勢力の元構成員で、親中派の小政党を立ち上げた人物の息子が経営しているとされる。


また蘋果日報(Apple Daily)は匿名筋の話として、偽造文書による訪台者のうち少なくとも2人が、中台統一を促すプロパガンダを担当する中国共産党中央統一戦線工作部(United Front Work Department)の職員だったと伝えている。



生物学は「今」だけに注目していては何も見えてきません。歴史のなかに散らばるさまざまな現象をジグソーパズルのように複雑に組み合わせながら「生命がいかなる道筋を経て、今に至るのか?」を探っていくのが生物学です。


残念なことには、「生存競争と自然淘汰の中で生物は徐々に変化していく」というダーウィンの考え方を「弱肉強食の論理」だと思っている人が非常に多いのです。なかには、ナチス・ドイツが提唱した優生思想(ユダヤ人差別)と進化論を結びつけて、人種差別を助長する論理だと勘違いしてしまう人までいる始末です。


彼は、価値観という点では人種差別、奴隷制度の反対論者で、ミミズであろうともヒトであろうとも、すべての生き物は、上も下もなく平等であり、生き物は多様性があるからこそ素晴らしい──と考えていました。


ダーウィンは「種の起源」で単に「進化論」という自説を提示しただけではない。「考えられる限りの反論」や「進化論にとって一見説明できないような不都合なデータ」を一つ一つ検証し、自らの理論を徹底的にテストしている。 「進化の途上にある中間的な種やその化石が発見されないのはなぜか?」 「眼のような精緻な構造が果たして進化だけで生まれるのか?」 「世界中で同じ種が同時多発的に生まれるのはなぜか?」



奄美大島にある金作原原生林を訪ねたときに、自然観察ガイドが教えてくれたエピソード。


この原生林には、アマミノクロウサギという奄美群島にしか生息しない希少動物がいます。夜行性なのでめったにみられませんが、とてもチャーミングな野ウサギです。しかし、このアマミノクロウサギ、今、絶滅の危機に瀕しているのです。


原因は、1970年代に、危険生物であるハブを退治するために、マングースが人為的に持ち込まれたことでした。マングースはインド原産の食肉目の動物で、コブラの天敵として知られています。マングースを野に放てば、ハブを捕食してくれるのではないかというのが人間たちの考えたことでした。しかし、実際に起こったのは……。


マングースはハブをほとんど捕食しませんでした。代わりに食べたのは、アミノクロウサギやトゲネズミ、ケナガネズミ、ルリカケスといった天然記念物たち。ハブなんかを食べなくてもマングースにとって、簡単に捕ることができて、しかもおいしい生き物がたくさんいたということですね。マングースがコブラを捕食していたのは、原産地ではほかに捕食できる生き物がいなかったからなのです。マングースの導入は、希少生物を絶滅へと追い込む皮肉な結果を生んでしまいました。今、金作原原生林には、逆にマングースを捕まえるための罠がたくさん仕掛けられているというしまつです。


このような事例を知ると、自然に対する人間の知恵がいかにあさはかなものであるのかを思い知らされます。自然はもっと複雑で多様な連鎖でつながっていて、微妙なバランスで成り立っています。番組でもご紹介しましたが、「食物連鎖」といった単純図式ではもはや説明できず、「食物網(食物ウェブ)」というモデルでしか表現できないほど、複雑で精妙なシステムから成り立っているのです。



「皆さん、誤解されているけど、『退化』だって『進化』なんですよ」


今回、講師を担当してくださった長谷川眞理子先生に最初にお話をうかがった際に、耳の奥に残った言葉でした。


たとえば、「種の起源」にはこんな事例が出てきます。マデイラ島に生息する甲虫の多くは羽が退化して飛べません。せっかく進化の過程で手に入れた飛ぶ能力をなぜこの甲虫たちは失ってしまったのか? マデイラ島は孤島で吹きさらし状態にあるため、空を飛ぶと風に流され海に落ちて死んでしまいます。最初は、飛べる甲虫、突然変異等によってたまたま飛べる能力がない甲虫など、いろいろなタイプが共存していたのですが、長い年月の中で、飛べる甲虫の多くは海に落ちてしまうケースが多かったため、飛べない方の甲虫だけが子孫を残すことになったのです。それが繰り返されることで変異が蓄積し、マデイラ島の甲虫の多くが飛べない甲虫になったのでした。


環境に直接影響を受けて羽が退化したわけでもなく、使用しないから退化したわけでもありません。最初にたまたま生まれた個体差(飛べないという変異)が、「自然」に選ばれて、世代交代を繰り返す中でその個体差が蓄積し、新しい種ともいえるものが生まれたのです。


このように、生き物には、無限といってもいいほどの自然適応のやり方があるのです。大きいもの小さいもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、獲得した器官を失ったもの不必要な器官をもってしまったもの……自然界にはあらゆる形質をもつ生物が多様に存在しています。「強いもの」が生き残るのではなく、たまたま「適応したもの」が生き残るだけです。こうした状況は「弱肉強食」といった単純な図式では決してとらえられないのです(でも人間って、どうしても事を単純化してとらえようとしてしまうんですよね)。


悪名高いナチスの「優生主義」は、人為的に劣っていると判断された遺伝子を駆逐しようとしました。しかし、これはダーウィンの理論によればとんでもないことです。「優秀な遺伝子」なんて存在しないんです。あるのは、「ある環境にあって、たまたま有効であるかもしれない遺伝子」だけ。そして、常に変転していく自然環境の中では、生き物や「種」が豊かに、そして末長く存続していくためには、できる限り多様なパターンの形質や性質を抱えておく方が有利なのです。そのことは、番組でもご紹介した、特定の品種のジャガイモだけしか栽培しなくなったアイルランドにおいて、ある一つの病気の発生でジャガイモが壊滅し、100万人の国民が餓死したという事例をみてもよくわかるでしょう。


つまり、ダーウィンの進化論は、「優生主義」や「強者の論理」「弱者の否定」「人種差別」「障がい者差別」「性的マイノリティへの差別」等々に組みするどころか、それらを真っ向から否定します。それを「人間の倫理」の立場からではなく、「科学」の立場から見事に論証したところが、ダーウィンの素晴らしさだと思います。





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