地球の目的のひとつは二極から学ぶことだった


▽うまくいったことから学び、
▼うまくいかなかったことから学ぶことだった。


もし人類の学びが十分であれば、地球はいまこうはなっていない。
人類の学びは当初の目的を下回っているとしか言えない。


旧地球 → 新地球


へ問題を繰り越すわけにはいかないので、
人類が「できなかった部分」は、もっとできる存在が受け持つ。
だから、人類にはシンプルに大きな反動が待っている。
債務は、「返す」か「不履行」か、どちらかしか結末はない。
その中間とか、可哀そうだからやっぱり助けてあげる、はない。
状況を正確に認識するためには、割り切らなければならないのだ。


新地球という言葉の意味は、「タイムリミット」があるということだ。
一人一人にその時間制限が適用される。


生まれてからいままでの思考・言葉・行為に責任が要求されるのはもちろんのこと、
上の存在が定めたタイムリミットまでに
地球の本来の目的とその「不履行」を正す責任が一人一人に加算されるのだろう。
不履行の場合、債務は消す。
ではわたしたちそのものが「債務」だと認識されないと誰が言えるだろう?


地上を生きる人間としてはわたしたちは個人だが、
それぞれ所属している霊団があるため、彼らとの連帯責任となる。
1名(本人)+α(彼岸の複数名)の連帯責任だ。


勘の良い者は姿勢を正す時期に入っていると思う。
学びの不足分の責任は誰が負うのか?
あの16歳は正気だ。
わたしたちが正気ではなかったのだ。n110100



「根深い怨恨を宿す人間の逸脱や挫折」「ごく普通の人間の中に潜む狂気」……社会の常識や背景が知らず知らずのうちに人間を縛り犯罪に走らせる様を見事に描き出し、「社会派推理小説」という一大ジャンルを築き上げた作家・松本清張(1909 - 1992)。人間の闇を凝視し続けた清張の視線は、やがて時代の深層へと向けられ、膨大な資料をもとに旧来の常識を覆すようなノンフィクション作品をも生み出していきました。卓越した時代批評としても読み解ける清張の作品群を通して、「人間の闇」や「国家の深層」といったテーマをあらためて見つめなおします。


松本清張は、社会の底辺にいる弱者の怒りや憎しみ、悲しみを描き続けました。その原点は、自らも積んできた厳しい下積み時代の経験にあります。人員整理による失職、低賃金を補うための藁箒仲買いのアルバイト、会社内での学歴差別。清張は、格差社会や貧困の現実を凝視してきました。作家を志し多くの探偵小説を読み漁ったときのことを「非現実的な背景の中で、トリックや謎解きの面白さがだけに重点が置かれていて読めば読むほど面白くない。そこでぼくは、現実の実生活の中にサスペンスを求め、その中にある人間性を探りたいと考えるようになった」と述懐する清張。その志向はやがて、等身大の人間に潜む闇を見つめぬく「社会派推理小説」へと結実していきます。時あたかも日本が高度経済成長に邁進していた時期。清張は、過酷な競争社会の中で翻弄され心の闇や欲望をむき出しにしていく人間たちに光を当て、作品を通して日本社会の暗部を告発しようとしたのです。


しかし、清張は単に「人間の闇」をあぶりだしているだけではありません。清張は類い希なる洞察力で、歴史資料の端々に潜む事実に眼を凝らし、歴史を突き動かしてきた深層にあるものをあぶりだしていきます。清張作品は、歴史の大きな転換期にあって「国家が誤った方向に向かわないためには何が必要だったか」を考えるための大きなヒントをも私達に与えてくれるのです。


福岡県香椎浜で起こった情死事件の解明を描く「点と線」。新しい旅の主役、夜行列車「あさかぜ」や航空機を始め、国鉄、私鉄をからませて、点と線でつなぐ一級のエンターテインメントだ。当時最先端のテクノロジーや交通革命、情報革命をいち早く先取りしながらも、その背景に、相次ぐ疑獄事件や政界・財界・官界の癒着などの社会的事件が透けてみえるような絶妙な仕掛け。巨悪は逃げ延び、犠牲になるのは中間管理職……複雑な社会機構が生み出す構造的な犯罪に巻き込まれた個人の悲劇を見事に描き出す清張の筆力は一体どこから生まれたのか? そのヒントは、清張の生い立ちにあった。


過去を消し去るために殺人という手段をとらざるを得なかった人物とその心理を描く「砂の器」。大ピアニストを目指す主人公・和賀英良に背負わされた十字架は、幼少期に苦しめられた、いわれなき差別と偏見だった。近代化を成し遂げたにもかかわらず、依然として日本に残る迷妄きわまる差別構造が人を犯罪に追いやる原因となる。その犯罪を暴くきっかけになるのも、古代からの残滓を残す「方言」という文化。この小説は、日本に今も生き続ける歴史の古層への鋭い視点が生んだ作品なのである。


戸籍によれば福岡県郡村(現・北九州市小倉北区)に生まれ、現在松本清張記念館が建っている小倉市(同)で育った清張は、高等小学校卒業後、給仕、印刷所の版下工を経て、一九三九(昭和十四)年から朝日新聞九州支社(のち西部本社)広告部に意匠係として勤務しました。五〇(昭和二十五)年、はじめて書いた小説『西郷札』が『週刊朝日』の懸賞小説三等に入選。五三(昭和二十八)年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞、その三年後に朝日新聞を退社し、専業作家となりました。


北部九州は単なる地方ではありません。そこはもともと畿内とともに邪馬台国があったとされる土地ですし、第十四代とされる天皇の皇后・皇后による朝鮮半島への出兵(「三韓征伐」)の拠点であったと『日本書紀』に記されるような土地です。かつての王権の影や、その歴史的な痕跡が神社や民間伝承、祭りなどの形で数多く残っている。神功皇后にちなんだ地名も少なくありません。そうした風土に育ったことが、清張の作品を生み出す一つの原動力になっているという印象を受けます。


清張のもう一つの原動力は、やはり彼自身の生い立ちでしょう。清張の作品には、エリートや富裕層に対する皮肉めいた視線が非常に強く感じられます。彼の推理小説で活躍するのは、しばしば下っ端の刑事たちです。少ない捜査費用をやりくりし、出張で乗るのは、いつも普通車に該当する二等車。旅館でも一番安い部屋にしか泊まれないような人たちが、執念の捜査で事件を解決していく。このようなストーリーには、幼少期以来の清張自身の経験が反映していると思います。


私が松本清張という作家にかれる理由は、大きく二つあります。
一つは、清張の作品が戦後史の縮図であるという点です。作品そのものが、高度経済成長期という時代の証言になっているのです。この時期、日本は農村主体の社会から急速な勢いで成長し、都市が膨張していきました。大学への進学率も高まり、交通網でいえば鉄道がどんどん電化され、新幹線ができ、特急も増えていった時代でした。この、一九五〇年代後半から七〇年代初頭にかけての高度成長期は、清張自身が一番脂が乗って活躍した時代に重なると思います。その頃に書かれた彼の小説を読むと、たとえば当時の鉄道網や、人々の旅行の仕方、あるいは都市と地方の格差などが如実にわかります。東京という街に絞ってみても、当時はまだ地下鉄が少なかった反面、都電が縦横無尽に走っていて都民の足として定着していたこと、一方で少し郊外に行けばたちまち畑と雑木林ばかりになることもわかる。こうした何気ない描写の一つひとつが、現在から見ると、当時の東京なり地方なりの風景を理解するための貴重な資料になっている。そこに大きな価値があると思います。
もう一つは、タブーをつくらないという点です。清張は小説やノンフィクションの中で、天皇制、被差別部落、ハンセン病といったテーマに取り組んでいます。これらはしばしばタブー視され、私たちは正面から向き合うことを避けがちですが、清張はそうではなく、あくまでも自分が発掘した史料や関係者へのインタビューをもとに、そこに忠実に向き合おうとする姿勢を一貫してとっています。たとえば、ノンフィクション長篇『昭和史発掘』では、新史料をもとにそれまでとは全く違う二・二六事件の見方を提示していますし、未完の遺作『神々の乱心』では、宮中の見えざる確執について、史料を存分に使いながら非常に大胆なストーリーを描いている。ほかの作家にはないところだと思います。


私たちは、平成の前の時代に当たる昭和史というものを、何となく知っているつもりでいます。しかし清張の作品を読むと、比較的近い過去ですら、実は何もわかっていなかったことに気づかされる。その意味で、松本清張は小説家にとどまらない、ひとりの歴史家ないしは思想家として読みなおされる存在なのではないかと私は考えています。


昭和初期の時代の変わり目を新資料を元に複合的に叙述していくノンフィクション作品「昭和史発掘」。とりわけ「二・二六事件」を読み解くことが、昭和史の謎を解明する大きな鍵を握っていると清張はいう。それは単なるテロ事件ではなく、構造的不況、貧富の格差の拡大、対外関係の行き詰まりといった危機的状況を、昭和維新と呼ばれる革命によって乗り越え、天皇と国民を改めて一体化させようという大規模なクーデター計画だった。その失敗後、軍部は「二・二六」再発をちらつかせながら、政・財・言論界を脅迫し戦時体制へと国民をひきずっていく。いわば、「二・二六」は、その後の国家体制を変えていく大きなターニングポイントだった。


最晩年、病気によって休載し、ついに未完に終わった「神々の乱心」。昭和八年を舞台に、特高の刑事と華族の次男坊が、宮中に入り込んだ新興宗教「月辰会」の陰謀を追うミステリーだが、そこには清張の巨大なメッセージがこめられている。「月辰会」の陰謀とは、実は「三種の神器」の捏造。日本国の頂点に君臨することを証明する物的証拠を捏造し、陸軍や宮中の一部の人々に本物と信じ込ませることで、天皇家の正当性を根底から覆そうとする。もちろん架空の物語だが、清張は、取材に基づいた多くの事実をつきあわせながら、日本という国家の深層に潜むものを見極めようとする。いわば、この作品は清張の遺言でもあるのだ。



講師を選ぶ際に、一つの大きな目安となるのは、その人がどれだけその名著を深く愛しているかということ。単なる研究材料……といったつきあいしかしていない場合は、器用に解説することはできても、本当の意味で人の胸を打つような話はできません。その名著を真に愛して読み込んでいる人は、不思議にも言葉の端々に「熱」が宿り、場合によっては、少々難しい解説でも、視聴者の心を揺り動かしてくれることがあります。
もう一つ大事なこと。それは、その名著を深く愛しながらも、適切な距離をもって対象化できることです。愛しすぎてずぶずぶにのめりこんでいるだけでは、客観的な解説ができません。冷たすぎても熱すぎても、面白い解説はできないのです。





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