外し


以前、有吉がラジオで若槻千夏に
(めちゃくちゃおしゃれだね、今日のはあえて)「外し」でしょ?
と言ったことがあった。


外しは容疑者の似顔絵でも使われる。
髪型や目、鼻、口、輪郭など顔の特徴をある程度押さえて、後は少しぼかすことで、「似顔絵の人かも」と思う多くの人が通報してくれる。つまり、あえて完璧ではないアバウトな容疑者の似顔絵にすることで、より多くの情報を集めるという手法だ。


「外し」は
大海に浮かぶ孤島を目的地とするなら、その目的地からあえて目を「外す」ことで
大海そのものに焦点が移るのだと思う。
宮本武蔵の観の目にも似ている。
だからなに? いやなんとなく。n090019



それはそこにあっていいから、あるのです。
もしもそこにあるものに「意味がない」「あってはならない」という視線を落とすなら、上があなたに望んでいることとは違う見え方を「あなたが意図して選択している」ということです。Fiora



木花咲耶姫様の御神示より
2020年01月08日


欲の産物


近年の異常気象も、異様な事件も、事故も、大災害も、全ては神の御意図にあらず。
宇宙の法則にかなわざるものは自ずと定まりゆく。
異常気象が続くと嘆くも、ただ嘆きて、不安を抱くのみにて何もなさず。
異常気象とて人間の作りし物質欲の産物なると悟らば、対策はある筈。
自然破壊、環境汚染、資源を貪り、とり尽くし、人間のみがこの地球にて異常に栄えたるが過ちのもと。
挙句、傲慢にも、遺伝子、生命までも操らんとす。


立て分けのとき近し。


神は、できうれば人間が、協力し合い立て分け行うを望まるる。
一人の力は小さくとも、その意識の輪、行動の輪が広がればいずれ大きな力となろうぞ。


(フィオラがつい昨日”御意図の計画”と言っていた。まったく同じ御意図という3文字をほぼ同じタイミングで使い、真逆のことを書かれていたので気になった。
いまこのような時代だからこそ、


御意図 と
御意図 ではないもの を


きちんと識別しなければならないなと感じた。以前に言われたのは
「まるでハムスターかのように法則として自分で廻してしまったから自業自得で走らされている囚われの路線」があるということ。それこそ人類はいまその路線が巨大化してしまっているのかもしれない)n



明治維新の立役者の一人であり「江戸無血開城」等の政治的難事業をなし遂げた稀有な政治家、西郷隆盛。晩年こそ反逆者として追われ不遇の最期を遂げたが今なお多くの人から慕われ続けています。しかし、特に晩年の行動は謎に包まれており、今でも議論が尽きません。西郷を生涯にわたって支えた思想とはどんなものだったのか? それを知る上で大きな手がかりがあります。生前の彼の言葉が記録されている「南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)」です。


編纂したのは元庄内藩有志たち。西郷の仇敵にあたる庄内藩の人たちが彼の言葉を残そうとしたのは、西郷のはからいにより庄内藩に寛大な処置がとられたからでした。その高潔な人格に感動した人々による編纂であるため、これまでは「偉人・西郷隆盛」をイメージづける名言集という読まれ方がなされてきました。しかし、その言葉の端々に潜む意味を丁寧に読み解くと、西郷が世界史の動向を鋭く見据え、比類のない洞察力で、国家のあり方、文明のあり方、人間のあり方を模索し、新たな時代の指針を打ちたてようとしていたことがわかってきます。


その言葉の裏には、せっかく維新を成し遂げたにもかかわらず志を失い私利私欲にふける官僚達、民のことを忘れ権力闘争にあけくれる政治家達、物質的な繁栄のみを追い求めようとする政策等々への、西郷の深い憂いがこめられています。この書は、明治新政府への厳しい諫言でもあり、現代社会の問題をも鋭く刺し貫く射程をもっているのです。


西郷が生きた時代、1830-70年代は、世界で巨大な情報通信革命とエネルギー革命が急速に展開している時代だった。一大鉄道網の敷設、大陸間をつなぐ海底電信ケーブルの設置等々、現在でいえばインターネット革命に匹敵するような巨大な地殻変動。その余波が超大国ロシア帝国をも揺さぶる時代。「南洲翁遺訓」を読むと、西郷が世界史的視野からそうした変動を鋭く洞察し、国家がどうあるべきかについてのヴィジョンを模索していたことがわかる。こうした激動の時代だからこそ、国家の屋台骨を打ちたて、世界に伍する国柄を明確にせねばならないと考えた西郷は、巨視的な立場から、藩閥政治の利害争いや安易な西洋文明の模倣に対して、鋭い批判を展開する。


ともすると、古きよき人生訓やビジネス指針として読まれがちな「敬天愛人(けいてんあいじん)」の思想。しかし、「南洲翁遺訓」を読み解いていくと、そこには時代を経て培われてきた奥深い思想が秘められていることがわかる。そのエッセンスの一つが佐藤一斎らが展開してきた「陽明学」。維新が成った結果、人々の欲望が解放され、経済的利害のみが人々を動かす行動基準になろうとしていた時代、西郷は、改めて日本人がよって立つべき原理を「天」という概念に求め、旧秩序の崩壊で価値基準が混沌する中、国家の命運をかけた大きな決断を下す際の基準点をぶれることなく持ち続けた。


「南洲翁」は西郷隆盛の尊称です。実は、この本は西郷隆盛本人が書いたのではなく、旧庄内藩の関係者が、聞き書きをまとめて編纂したものなのです。出版されたのは、西郷の死後、賊名が解かれた明治二十三年(一八九〇)のこと。内容は、為政者としての心構えをはじめとして、西郷の国家観・文明観を示す多彩なものです。政治家や組織のリーダー的地位にある人を意識して語られていて、非常に示唆に富む内容です。と同時に筆者は、とりわけ西郷の死生観がこの書に溢れていることが、今日でもなお、西郷に私たちが惹きつけられる理由であると考えています。


「このままでは日本は商法支配所になりさがる」。私利私欲に走り、そろばん勘定だけを政策決定の基準にしようとしているかにみえる藩閥政治に対して、西郷は鋭い論陣を展開する。刑法のあり方、財政のあり方など具体的な指針も交えながら、西欧列強と対峙しうる国家のアイデンティティとは何かを追求し続ける西郷。だがその基本姿勢は偏狭な国粋主義と一線を画す。彼の思想は、西欧に学ぶべきところは学ぶが、途上国に対する非道さや経済的な打算による威信の軽視を鋭く批判するという文明史的視点に貫かれているのだ。



西郷を悲劇の死に追いやった「西南戦争」。不平士族たちの思いを背負った西郷が負けとわかって挑んだ戦いと記されることも多いが、先崎彰容さんは、実はこの戦いは、西郷が大きな思想的な課題を成し遂げようとして戦った必然的な戦いだったと考える。この戦いには、洋行帰りで西欧の最新知識を吸収した人やルソーに心酔した知識人も参加していた。こうした事実と「南洲翁遺訓」を合わせて西郷の行為を読み解くと、官僚独裁が進み排除の論理が横行する新政府に対して行った大きな「抵抗運動」だったと考えられるという。


こうした事実と「南洲翁遺訓」を合わせて西郷の行為を読み解くと、官僚独裁が進み排除の論理が横行する新政府に対して行った大きな「抵抗運動」だったと考えられるといいます。実は、このことは、すでに同時代の福沢諭吉が鋭く見抜いており、西郷批判の嵐が吹き荒れる中、ただ一人、西郷擁護論を書き残していたのです。


福沢の論はこうです。西郷は、武士の「抵抗の精神」、つまり自尊心をもち、安易に政府の見解だからと言って阿諛追従(あゆついしょう)せず、場合によっては異を唱える精神の重要性を示そうとしたのだ。西郷批判一色に染まった現状では、この日本の最良の伝統が失われてしまうのではないか。だから、私は、西郷を擁護するのだ、と。





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