地平線から日が昇るとき
「層」がみえるようになります。
層は直前までとの色のコントラストでわかります。Fiora


台湾の併合拒否の意思がはっきり示せたことを一番喜ぶべきは日本だと思う。
香港と台湾の勇気に、いま日本は助けられている。


黙ってやられ、黙って舞台袖に去っていくような物分りのある者なら、もともと民族浄化などやるわけがない。
これではっきりしたのは、世界を大乱が襲うのはほぼ確実になったということだ。


昭和の初期から考えれば、1945年の焼野原になった日本を想像することはむずかしかったはずだ。
一字違いの令和のいま、どうやら同じ大戦争の時代を迎えてしまったことに気づく。


司馬遼太郎が鬼胎(きたい)の時代と呼んだ昭和前半期に、ほとんどの日本人は時代が何を「はらんでいるか」に気づかなかった。


はらんでいるものに気づかないままだと、
コントロールを失ったとき、歯止めが効かなくなったとき、
泣いても笑っても止まらない暴走が始まる。


日本社会は「化け物」をはらむ。
国際社会も「化け物」をはらむ。
この時代の「化け物」は、複合要因でかつてないものになってしまっている。


化け物が日の光に照らされて、
まるでなかったかのようにうっすら溶けて消えていく…
そんなことはありえない。


化け物は暴れ、血を撒き散らす。
はらんでいる以上、生まれるのだ。n120121















台湾総統選、蔡英文氏が再選=過去最多得票で韓氏に圧勝―「一国二制度」拒絶
2020/01/12 00:14


【台北時事】台湾総統選は11日投開票された。再選を目指した与党・民進党の蔡英文総統(63)は、800万票を超える総統選での過去最多得票を記録し、再選を果たした。焦点となった対中国関係をめぐり強硬な姿勢で臨んだ蔡氏に絶大な支持が集まり、対中融和路線の最大野党・国民党の韓国瑜・高雄市長(62)に圧勝した。同時に行われた立法院(国会、定例113)選でも民進党は過半数を確保した。


蔡氏は同日夜の記者会見で、「過去4年の政策とその方向性が評価された結果だ」と勝利宣言。その上で、中国が打ち出す「一国二制度」による中台統一を改めて拒絶するとともに、台湾への武力行使を断念するよう中国共産党・政府に呼び掛けた。


これまでの総統選での最多得票は、2008年に馬英九氏が獲得した765万9000票。中央選挙委員会によると、午後9時40分(同10時40分)現在、蔡氏は816万票を獲得。韓氏は551万票と苦戦した。韓氏は敗北を宣言した。国民党の呉敦義主席は、敗北の責任を取って辞任すると表明した。


台湾総統選は、反政府抗議デモで混乱する香港情勢を背景に、対中関係をめぐり有権者がどう判断を下すかが最大の争点となった。蔡、韓両氏による事実上の一騎打ちとなる中、蔡氏が選挙戦を終始リードした。


蔡氏は選挙戦で、「台湾の主権と民主主義を守ろう」と繰り返し訴えた。香港問題や米中貿易摩擦といった国際情勢が追い風になり、中国への警戒感を強めた若者を中心とした有権者の支持を広げた。


一方の韓氏は、民進党批判を強め局面打開を試みた。対中政策では「中国と関係を改善すれば、台湾は安全になり、みんな金持ちになれる」と訴えたが、香港情勢を受け「親中派」イメージが不利に働き、若者の支持低迷に苦しんだ。


総統選には野党・親民党の宋楚瑜主席(77)も出馬。無党派層の受け皿を狙ったが、蔡、韓両氏に注目が集まる選挙戦に埋もれた。


立法院選は、地元メディアの集計によると、民進党は61議席(現有68)と減らしたものの、過半数を確保した。国民党は38議席(同35)。柯文哲・台北市長が昨年立ち上げた新党「台湾民衆党」は比例代表で5議席を獲得した。



木花咲耶姫様の御神示より
2020年01月09日
欠点も神の恵み


人には欠点あり。欠点もたぬものなぞ存在せぬ。
そもそも、物事を暗く考える欠点あるものは、逆にいわば、物事を深く考える能力ありなん。
欠点はその個人個人のある意味個性なるれば、むしろ欠点をさえ神様に感謝せねばならぬ。
欠点はその個人の面白さでもありなん。
なれど、同じ欠点とて、人に迷惑をかける欠点、自分を守るために嘘をつく欠点。人に対する思いやりの持てぬ、さなる欠点はたださねばならぬ。
人間には一生のうち一度や二度は己をふりかえり、己の成したことを反省するとき、己を恥ずかしきと思うときに遭遇せん。
さなる好機を決して逃してはならぬ。
そは神が与え給うお恵みならん。
それにも気づかず、反省もなく、己を変えようとする意識を一生もてぬ者は、あの世にて苦しき修行待ち受けんとす。


2020年01月11日
令和の時代に生かされている責任


神は、この十数年、否、もっと遙か昔より、この膿出しの大改革の時の到来を、あの手、この手にて、人々に警鐘を鳴らし続けらるる。
なれどここにきてもまだ、他人事の有り様。
神の御心の本心は、一人でも多くの神の子に、何故に立て替え直しの必要なるやを気づかせ、一人でも多く、次の世に、連れゆきたいと願わるるなり。
なれど神の節なる願いは届かず。
多くの、災害、事件、事故等を通し、物質文明、現代文明にのみ頼る、脆さ、危うさを見せつけられたるにもかかわらず人々は何ら変わることなし。
今、このときに、魂を磨かなくてはならぬと、気づくも、今このときに、異常気象、温暖化を何とかせねばと、考えるも、時すでに遅しの感ありなん。
世界に起こりたることは、すぐに世界に伝わる現代なれど、世界の危機は真には理解されぬままなり。
神の一番の悲しみは神の子なる人間を次の世に連れ行く、良き魂の少きことならん。



古来、大乗仏典の中でも「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉されてきた経典の一つ「法華経」。日本でも、聖徳太子、最澄、道元、日蓮、宮沢賢治ら多くの人々に巨大な影響を与えてきました。「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」などの文学にも法華経にまつわるエピソードが記され、日本文化の底流には脈々とその精神が流れ続けています。


「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流、大乗仏教が登場し、部派仏教との間で激しい対立が生じていました。この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが法華経だといいます。


法華経の舞台は、霊鷲山(りょうじゅせん)というインドの山。釈迦の説法を聞こうと八万人にも及ぶ聴衆が集まっていました。深い瞑想の中にいた釈迦はおもむろに目覚め、今までに誰も聞いたことがない奥深い教えを語り始めます。全てのいのちの絶対的な平等性、これまで成仏できないとされてきた出家修行者や女人、悪人にいたるまでの成仏の可能性、それぞれの人間の中に秘められた尊厳性、それを尊重する行為のすばらしさなどが、卓抜な比喩などを駆使して語られます。そして、クライマックスでは、これまで秘されていた釈迦の成仏の本当の意味が明かされるのです。


法華経には、忽然と虚空に出現する天文学的な大きさの宝塔、大地をわって湧き出してくる無数の菩薩たち等、神話的なシーンが数多く現れ、合理的な思考からすると一見荒唐無稽な物語とみなされがちです。しかし、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みなたとえに託してなんとか表現しようとする作者たちの意図が明らかになっていきます。その一つひとつを解読すると、その中核には、「釈迦がもともと説こうとしていた仏教の原点にたちかえれ」という力強いメッセージがこめられていることがわかります。


排外主義が横行し分断される社会、拡大し続ける格差……憎しみや対立の連鎖からなかなか抜け出せない現代、「法華経」を現代的な視点から読み解きながら、「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」「自己に眠る大きな可能性を開いていくには何が必要か」など、生きる指針を学んでいきます。


法華経が編纂された当時は、出家修行者が自らの悟りを目指す一部の「部派仏教」と広く民衆を救済しようという「大乗仏教」が厳しく対立していた時代だった。法華経にはそうした対立を止揚し乗り越えようという新しい思想がこめられているという。一部の部派仏教が決して成仏できないとした在家信者や女性も、初期大乗仏教が決して覚りを得ることができないと断じた出家修行者も、全て平等に仏になれるという平等思想を打ち出したのである。法華経ではそのことを過去の因縁話や有名な「三車火宅(さんしゃかたく)のたとえ」など卓抜な表現を用いて見事に説いた。


法華経が最も優れた経典とされる理由は「全ての人間が平等に成仏できる」と説いたこと。では「成仏する」とはどういうことか? それは現代の言葉でいえば「真の自己に目覚めること」「人格を完成させること」だと植木さんはいう。当時は釈迦が神格化され、釈迦の骨をおさめた塔「ストゥーパ」を拝む信仰が隆盛を極めていた。しかし、法華経では、釈迦はあくまで覚りを得たひとりの人間なのだから、偶像を信仰するのではなく釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説く。それこそが人格を完成していく方途なのだ。


釈尊が過去世において仙人の奴隷として仕えた場面は、岩本訳では「寝床に寝ている聖仙の足を支えた」とありました。仙人というのは、足を他人にがっちりと支えられて、安眠できるのでしょうか。サンスクリット原典を見ると「足」は複数形になっています。実はサンスクリットで複数は三以上のことで、岩本訳では、仙人に足が三本以上あったことになります。ここは釈尊が四つん這いになって、仙人が寝ている寝台の脚の代わりを担ったという意味なのです。ちなみに鳩摩羅什はこれらをいずれも正しく訳しています。


『法華経』は「諸経(しょきょう)の王」と言われます。これは、『法華経』が「皆成仏道(かいじょうぶつどう)」(皆〔みな〕、仏道を成〔じょう〕ず)、つまりあらゆる人の成仏を説いていたからです。誰をも差別しないその平等な人間観は、インド、ならびにアジア諸国で古くから評価されてきました。


その場でたちどころに覚りを得る女性や悪人、大地の底から湧き出してくる菩薩たち……劇的なドラマが繰り広げられる法華経の中盤。神話的ともいえるこれらの表現は、これまでの常識的な価値観をゆさぶり、全く新しい価値観を受け容れる地ならしをしようとした表現だという。その上で明かされるのは、釈迦が四十年数前にブッダガヤで成仏したのではなく、気の遠くなるようなはるかな過去にすでに成仏していたという驚愕すべき事実。そこに込められているのは、様々な形で説かれてきた無数の仏たちを一つに統合し、釈迦という存在の中に位置づけることで、これまでの仏典全てを包摂しようという意図だという。


法華経後半で最も大事な章と考えられている「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)」。どんな暴力や迫害にあおうとも、ひたすら他者に内在する仏性を尊重し礼拝し続ける常不軽菩薩が、経文などを全く読めずともやがて覚りを得ていくという姿を描いている。ここには、法華経の修行の根幹が凝縮しているという。すべての人間に秘められた可能性を信じ尊ぶ行為こそが、自らの可能性を開いていく鍵を握っているというのが法華経の思想なのだ。


「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流「大乗仏教」が登場しましたが、今度は、厳しい批判をしようとするあまり、部派仏教の修行者だけは成仏できないという差別思想を宿すことになりました。こうした流れの中で、大乗仏教と部派仏教との間で激しい対立が生じてしまいました。


この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが「法華経」だといいます。このような視点から、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて「法華経」を読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みなたとえに託してなんとか表現しようとする編纂者たちの意図が明らかになってきます。


釈尊がもともと説いた、人類初ともいうべき普遍的な平等思想でさえ、権威主義や組織防衛のために歪められ、歴史の中でその内容が改竄されていったという事実です。「法華経」を読むことは、そうした改竄の恐ろしさや原点を取り戻すことの大切さを学ぶことにもつながっていきます。





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