なぜヨブ記と言ったのか?


つまりフィオラは、もう被害を避ける方法はないと判断しているのだろう。


搦め手で侵入してくる敵とは、甚大な被害が出た日本に支援名目で入ってこようとする敵国が出てくるということかもしれない。
でもそれだけじゃない。搦め手で心の中に忍び込んでくる敵は、他にもたくさん考えられる。たとえば神への信仰を捨てさせようとする側の者たちだ。
新地球の移転には、色々な立場の者たちがいて、彼岸はいまとても混乱している。彼らは戦争犯罪や暴力を利用して、一人一人の神との関係を弱めにくる可能性がある。


ヨブ記は、真の信仰をテーマにしている。それが、神の視点に立った神の信仰だとするなら、


人の苦しみ(だけ)ではなく、


神の苦しみに(さえ)焦点があたっているような者を想定しているのだと思った。


戦争の苦しみと大混乱のさなかに、神の葛藤や苦しみに(まで)共感している者となるとかなり珍しい。


でもそれをしておかないと、フィオラは「黒くなる」と言っていた。
これが言わば想定されているチャンネル(周波数帯)の違いなのだ。


対地獄は、ある。


地獄そのものへの対抗策がある。
それを
・思考
・言葉
・行為
の3層に分けるなら、まず第一に「思考」の根源、
価値観の奥底における「神との関係」を意識に上らせるべきなのかもしれない。


これから地獄が進軍してくる。
神はわたしたちを見捨てたのか?
その答えを一人一人が事前に出しておくことを勧められている。n070013



測量学の権威が警鐘 「東日本大震災の直前と同じ兆候出現」
2020/01/06 07:00


2019年の年末は日本各地で地震が頻発した。12月19日、青森県東方沖を震源とする最大震度5弱の地震が発生。同3日から5日にかけては、関東北部(茨城県、栃木県)を震源とする震度3以上の地震が6回起き、そのうち3回で最大震度4を観測した。


測量学の世界的権威で「MEGA地震予測」を主宰する村井俊治・東大名誉教授は、現在の日本列島の地表の動きには「東日本大震災の直前と同じ兆候が出ている」という。


「11月中旬、東日本大震災の約2か月前と同じ兆候が現われました。震災以降初めての出来事で、2020年は東日本大震災と同規模の地震が起こる可能性があると危惧しています」


村井氏が指摘するのは、伊豆諸島にある電子基準点「青ヶ島」の上下動だ。


「11月10日から16日までの1週間で『81cm』の高低変動が見られました。これは、東日本大震災前年の2010年12月26日~31日の1週間に同じ青ヶ島の基準点で観測された『76cm』を大きく超える異常変動です。


青ヶ島と宮城県沖は600km以上離れていますが、遠く離れた基準点での異常変動が、大地震の引き金となるケースは珍しくありません。さらに、秋田県の電子基準点『鹿角2』や『鳥海』でも7cm以上の異常変動が現われています」


この「異常変動」とは、全国1300か所に設置された国土地理院の電子基準点のGPSデータをベースに、1週間ごとの基準点の上下動を調べたデータだ。それに加え、地表の長期的な「隆起・沈降」、地表が東西南北のどの方向に動いたかの「水平方向の動き」の3つの指標を総合的に分析し、地震発生との関連性を予測するのが「MEGA地震予測」である。


村井氏が「2020年に最も警戒すべき5つの地域」を危険度順に分析した。


【1】東北地方警戒ゾーン


青ヶ島「81cm」の異常変動の他にも、東北地方には注意すべき兆候が出た。水平方向の動きを見ても、大地震発生前の兆候が現われているという。


「東日本大震災以降、日本列島の大半の地域は南東方向に動いています。しかし、それとは真逆の北西方向への動きが、北海道の根室・釧路地方、千葉県の房総半島南端などの一部地域で大きくなっている。


地表の動きが逆転する境目にあたる青森県、岩手県北部や福島県、茨城県、栃木県に歪みが溜まり、年末にかけて地震が頻発したと考えられる。エネルギーはまだ放出されきっていないと見るべきでしょう」


東日本大震災以降、太平洋側は隆起し、日本海側は沈降する傾向があったが、昨年末に秋田県、山形県での沈降傾向が強まっている点にも注意を要するという。


「隆起と沈降の境目となっている奥羽山脈に歪みが溜まっています。東北地方は震度5クラスの地震の常襲地帯ですが、隆起・沈降、水平方向、上下動のすべてを鑑みると、今年は新たな大地震の危険度が高いと言わざるを得ません」


◆“危険水域”を超えた


【2】首都圏・東海警戒ゾーン


村井氏は首都圏にも警戒を促した。伊豆諸島や伊豆半島に異常変動が集中しているからだ。


「10月以降、伊豆諸島と小笠原諸島は異常な変動を繰り返し、不安定な状態です。特に隆起・沈降では、隆起傾向の三宅島と沈降傾向の神津島は約30km程度と近距離ですが、年末の両島の高低差は6cmを超えており、“危険水域”と言えます」


【3】九州南部・南西諸島警戒ゾーン


九州南部も鹿児島県の電子基準点「垂水」の8.3cmを中心に異常変動が集中している。


「年末は鹿児島県の大隅半島と宮崎県南部で、地震発生前に見られることが多い大きな沈降が見られた。九州南部ではこの1年間、水平方向の動きでも大きな変動があった。2016年の熊本地震の余震ではなく、新たな地震が発生する可能性があります」


【4】北陸・信越警戒ゾーン


長野県の「白馬」で9.5cm、福井県の「大野」で7cmの異常変動があった。


「長期的な隆起・沈降では、年末に福井県の『和泉』や『福井池田』、石川県の『白峰』が大きく沈降しており、ここも注意が必要です」


【5】北海道東部警戒ゾーン


12月18日には、最大震度3の根室半島南東沖地震が起きているが、さらに警戒を強めるべきだという。


「『根室4』が沈降する一方、『阿寒2』は隆起しています。その差は1年前から10cmを超えており、依然として“危険水域”のままです。その境目に歪みが溜まっており、引き続き要注意です」


MEGA地震予測は、今後6か月にわたる警戒地域を示す予測だ。政府の地震調査委員会が発表する「30年以内に〇%」という“雲を掴むような確率”のレポートとは一線を画する。


「MEGA地震の予測方法はアップデートを続けていて、いずれ1か月以内の予測を可能にしたいと考えています」


予測をもとに冷静に備えたい。
 ※週刊ポスト2020年1月17・24日号



バートランド・ラッセルの「幸福論」。アランやヒルティの「幸福論」と並んで、三大幸福論と称され、世界的に有名な名著です。この名著を記したラッセルは、イギリスの哲学者でノーベル文学賞受賞者。核廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」で知られる平和活動家でもあります。そんな彼が58歳のときに書いたのがこの「幸福論」です。


専門領域で、数理哲学を大成した書といわれる「プリンキピア・マセマティカ」を書き上げ、一つの仕事を成し遂げたと考えた彼は、今後は、後世の人々のために「人生いかにいくべきか」「幸福になるにはどうしたらよいか」といった誰もがぶつかる問題を、自らの原点を踏まえて考究し書き残そうとしたのです。


ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。


ラッセルは、「幸福論」を説き起こすにあたり、「人々を不幸にする原因」の分析から始める。その最たるものはネガティブな「自己没頭」。それには、罪の意識にとりつかれ自分を責め続ける「罪びと」、自分のことを愛しすぎて他者から相手にされなくなる「ナルシスト」、野望が巨大すぎるが故に決して満足を得ることができない「誇大妄想狂」の3つのタイプがある。いずれも自分自身にとらわれすぎることが不幸の原因であり、ラッセルは、自分自身への関心を薄め、外界への興味を増進していくことを薦める。


不幸を避け幸福を招き寄せるには「思考のコントロール」が最適であると考えるラッセルは、その訓練法を具体的に伝授する。「悩みを宇宙規模で考える」「無意識へ働きかける」「退屈に耐える」「比較をやめる」……誰もが一歩ずつ踏み出せるちょっとした実践の積み重ねが深刻な悩みの解消へとつながっていくというのだ。


原題は “The Conquest of Happiness” 。そのまま訳すと、「幸福の獲得」となります。幸福とは待っていれば向こうからやってくるものではなく、自ら獲得すべき能動的な営みである――という、ラッセルの根本思想がよく表れているタイトルだと思います。


世界には三大幸福論と呼ばれる幸福論の名著があります。一つは、今回取り上げるラッセルの『幸福論』。もう一つはフランスの哲学者アランの『幸福論』。三つ目はスイスの哲学者カール・ヒルティの『幸福論』です。くじけない楽観主義を説いたアラン、信仰や信念を持って生きることが幸福につながるとするヒルティ。彼らと比べると、ラッセルの『幸福論』は、外に目を向けることの大切さを説き、実際の行動を最も重視すること、また精神論にとどまらない論理性を備えている点が特徴的です。


ラッセルの『幸福論』は二部構成になっています。第一部では不幸の原因分析を行うと同時に、思考をコントロールすることでその原因を取り除く解決策を提示しています。続く第二部では、自分の関心をどんどん外に向けつつ、同時にバランス感覚を忘れないようにすることで幸福になる術を提案しています。


ラッセルは晩年、平和活動に熱心に取り組みました。『幸福論』で論じているのは個人が幸福になるための方法ですが、彼の中では、その思想は個人の幸福を超えて、社会の幸福の基盤となる「平和」を求めるところまでつながっていたといえるでしょう。


人は何かにつけ一方向に偏りがち。それが幸福になることを妨げているというラッセルは、絶妙なバランスのとり方を提案する。たとえば「努力とあきらめ」。避けられない不幸に時間と感情をつぎこんでも意味はない。潔くあきらめ、その力を可能なことに振り向けることで人生はよりよく進むという。また、趣味などの「二次的な興味」を豊かにしておくと、もっと真剣な関心事がもたらす緊張をときほぐす絶好のバランサーになるという。



「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味をもっている人」と結論づけるラッセル。客観的な生き方とは、自我と社会が客観的な関心や愛情によって結合されている生き方であり、「自由な愛情と広い興味をもつ」とは、自分の殻に閉じこもるのではなく、外に向けて人や物に興味を広げている状態のことだという。真の幸福は他者や社会とつながることによってもたらされるのだ。


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