思考観察5日目


今朝起きると異変が起きていました。
後頭部の例の場所(後頭部の中心から若干右側 大きさは直径3センチ程度の球体のように感じます)がズキズキと痛んでいます。気のせいではなく、物理的に痛いのです。初日から3日目ぐらいまで後頭部の中心から若干左側に感じることも多かったので、球体の位置はまったく自信がありません。半眼と球体を描くように意識が浮遊している感覚がやはりまだ変わりません。


痛かったので、午前中は無意識になりました。
午後に入って少し痛みは収まりました。また思い出し始めました。
夕方にはほとんど痛みを感じなくなりました。
今のところ思い出す回数は大体平均すると1時間に6回、10分に1回ぐらいでしょうか。


ちょっとした瞬間に静寂の耳鳴りを感じるようにもなってきました。静寂は音と無関係で、どんな騒音の中にもあります。音はコントロールできませんが、体験の主体に留まろうとすることだけはコントロールできます。体験の主体が静かなんでしょうか?


光が飛び込んでくることを感知するのが見ることで、
音が飛び込んでくることを感知するのが聞くことです。


感知しているのがこの体験の主体でしょうか?
外部の物事は刻々と変わっているのに、それに対する意欲や好奇心が減退しつつあるのを感じます。


感じたいのはこの無思考の海です。


あと思考ではないのですが、バイオリンの音色がなぜか耳について離れなくなってきました。これは思考と違って、簡単に消えません。


今日の報告はここまでにします。
あとは小話です。


むかしむかしある農村にAさんとBさんという男性がいました。
Aさんは非常にマジメで働き者。Bさんは誰もが認める怠け者でした。


AさんとBさんは独り者で、家族は全員もう亡くなっていましたし、幼馴染にして二人は親友同士でした。


AさんとBさんの父親たちはそれぞれ亡くなる直前に「どうしても困ったらこれを読め」と遺言を残していました。


村に大飢饉の波が襲い、食べるものの無くなったAさんとBさんはフラフラになった頭でそれぞれ遺言のことを思い出します。


Aさんが遺言を開けると、そこには「たとえ死すとも最も弱き者を見捨てるな」と書かれていました。Aさんは遺言の意味を考えました。
最も弱き者とは、この村では餓死寸前の子供達のことに違いありません。Aさんは最後の残飯をかき集めながらまた考えました。これを子供に食わせる?まさか?私は死にそうなのに。苦しいのは私も同じだ。私が死んでも他人の子供だけを助けるのか?


Bさんもまた遺言を開けて呆然としていました。
最後の希望のその紙は、「白紙」だったのです。何も書かれていませんでした。
「冗談だろう?おやじ」天を見上げてつぶやきましたが、何の返事もありません。Bさんは最後の遺言を手渡す時の父親の顔を思い出していました。
「これを読めというんだな」
それが冗談ではないことが、Bさんにはただわかりました。


Aさんは遺言を破り捨てました。飢えの本当の苦しみを体験していない者に、布団の上で大往生したおやじにわかってたまるかと何度もつぶやきながら、最後の残飯を少しずつ自分で食べました。


Bさんは白紙を投げ捨て、何も考えずに外に出ました。どこにも食べるものはありませんでしたが、Bさんは何も考えず、何も判断せず、フラフラしながら村を見てまわりました。そこはなぜかいのちに満ちていました。白紙のような頭の中に最初の考えがやってきました。Bさんはただそれをやりました。次の考えがやってきました。Bさんはそれをやりました。


彼らがどうなったのか村にはもう伝わっていません。
ただこの村ではその後、飢饉を生き延びた子供たちが祖父になり祖母になり、最後の時に白紙の遺言を手渡す風習が生まれました。
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