思考観察9日目


思考に気づく存在の位置を逐一意識することができない時もかなりありました。
半眼が楽なもので、つい忘れてしまうことが多かったです。


後頭部の球体の感触を何度も試しているのですが、何度やっても半眼で意識が移動する位置と思考に気づく存在の位置が同じように感じます。


今日は1時間に4回くらいでしょうか。15分に1回くらい思い出していました。


少し脳内の触感というか、感覚が変わり始めているような気が一瞬しました。
何か空気に触られている感じというか、見たり聞いたり会話したり、体験しているものと距離が少しだけ開いたような気がしました。


今日の報告はここまでにします。
今日は光が感じている感覚の話をさせてください。


透明な光が感じている感覚は「愛」です。
これは理由を問わず、対象を問わず、ただ愛している感覚です。
条件は何もありません。
取引することも、コントロールすることもできません。
増減せず、消滅しません。
ただ愛しているのです。
主体と客体がない世界で、愛していることは愛されていることです。
愛そのものはあまりに満ちたりていて言葉にできません。
私たちは心の底から安心します。
そこから自由とは何かが顔を覗かせます。


人のフリの一番疲れるところは、愛したら死ぬと怖れを感じてみんなで防衛戦略を練りはじめるところです。私はただの肉体なのだから、決して弱みを見せてはならない。
武器は捨てられない。
愛は閉じ込めなくてはならない。失わないように。
全て大嘘です。悲しい嘘です。
これ以上傷つくのだけは、なんとしても避けたい。
みんながそう思っています。


人間のあり方には色々悪いところも欠点もあるのに、
ただ愛しているのか?と問われても、
そのただ愛している感覚の強さの前には何も言葉がありません。
日常の違和感はこれを探している信号だったのかと初めて納得します。


私たちは結局、愛以外のものにはなれません。
どんなに冷たいフリをしても、不可能です。
コントロールも不可能です。
愛に従うしかないのなら、抵抗を諦めるしかありません。
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Fiora & nobody