思考観察7日目


今のところのやり方はこうです。


朝起きた時点で「半眼」になります。
そして後頭部の意識の焦点の範囲を確認します。
日中思考を感じたら、可能な限りすぐ「半眼」になります。
そして言葉の一語一語やイメージを見届けます。
もちろん何も変えようとはしません。
そうすると周囲のあらゆる自然音が360度鳴り響いているのに気づきます。
それ以上思考の言葉が出てこないことを確認して、
静寂の耳鳴りを感じるようなら目をぱちりと開いて日常生活に戻ります。
この繰り返しです。


思考に気づいているのは誰か?とは問いませんし意識していません。純粋に半眼で思考の行く末だけを意識的に観察します。こういうやり方が定着にどう影響するのかも実験的にやっています。
(半眼いらないですね。後頭部もいらないです。思考または無思考に「気づいている意識の定着」です)


半眼と残心は勘ですから、大きく的外れの可能性もあります。
なんだかどうしても、半眼と残心が気になるんです。
仏像や剣禅、弓道、茶道の世界にやってる人が多すぎるからです。


残心が定着できるなんて概念はもちろん今まで聞いたこともありませんが、何となく、本当に何となく、「残心とは空間(透明な光)の意識の維持」のような気がするんです。
もちろん透明な光に維持する努力なんて必要ないんですが、捧心と対になっていることから対象物に光をあてる捧心と、光そのもので空間から見張る残心という気がするんですよね。それが半眼で確認できる後頭部とリンクしてるのではないかと思うんです。あくまで入り口は。一心刀の次元に達すれば透明な光そのもので万物一如ですからね。
(捧心の「意識が対象物に着く」時、「誰が」着いたと気づいているのか?残心は「誰が」残ったと気づいているのか?捧心残心は二極性の範囲内であり、透明な光は意識外にまで無限に広がる超越です)
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