ブログを書いていると


思うことがある。人の目が気になる。
気にしないようにと思っても、気になる。
これは、実際にブログを書き始めてから気づいた。
自分の中の、そういう側面に気づいた。


コメントいただいたら、(とにかく)丁寧にお返事しようとか。
なるべく「(ネット上でも)いい人」だと思われたい、とか。
人の目を意識してしまう「羞恥心」とか「承認されたい願望」とか。
それに気づいて自分を叱咤したり、責めたりもした。


自分の内面にそういう新しい自分を発見して、衝突する。


もし人の目を意識していなかったら、この鎖から自由になれるだろうかと夢想したりした。人の目を意識することは束縛でもあり、窮屈に感じることもある。


逆にコメントがないことに、あれ、これ寂しい…
(みてわかるとおり、人気のないブログです)
ということもたくさんあった。


ここまでにコメントいただいた方は驚くほどに知性的で丁寧な人ばかりだった。テーマが真面目だからだろうか。
もうちょっと、こういうブログは荒れるものかと思っていた。


実際やってみたら、迷惑メール業者も私のこの日記は避けているようだった。
あれ、見てる人って今日は1人か2人いるのかな…?というぐらいの感覚で1年近く書いてきて思う。


私の「人の目が気になる」は、一人相撲だ。
この日記を書き始めるとき、二つの矛盾する願望があった。


一つは、本音を書きたい。
私は別に、スピリチュアル業者(有料の人も、無料の人も)を敬っていない。そんな気持ちはさらさらない。
批判もしたくないし、する必要もまったく感じない。
何を信じるかとか、何を目的に生きるかは個人が自分で決めることだ。


一般論もどうでもいい。
私が書きたいのは、この世に私一人しか価値を見出していないだろう個人的な「みえないもの」のことで、大勢の人が大事にしているテーマは扱っていないし、扱うつもりがなかった。


私はエゴイストで、「自分さえ良ければいい」。
精神世界を求める動機は、それだ。
スピリチュアル本に書かれていることも、求めていない。


私が求めているのは、子供の頃みた風景を、もう一度みること。望郷の念に似ている。


これらが本音なのだが、実際書き始めると
「いい人」だと思われたい、という心の束縛が私を縛った。
驚くほどに、縛った。つまり気が小さいから、(ネット上ですら)人に遠慮するし、自分を出しきれない、もやもや感に包まれた。


もう一つの矛盾する願望は
「他人の成長に役立ちたい」もう少し正確に言うと
「こんな私でも、ちょっとは誰かの役に立った」という感覚を得たいだった。


これは、私には荷が重かった。そして、第一の目的と真っ向から矛盾していた。
自分はエゴイストのくせに、「ちょっとナイチンゲールを気どりたい」薄っぺらい願望が私を葛藤に追い込んだ。


雨の日もあれば、風の日もある。


この「小さな私」の欠点が100個あっても、どうでもいい。
この日記は、その小さい私が、遭遇した未知の
「みえないおおきななにか」をみつけるために書いている。


口調がですます調になったり、~だ調になったりするのは、こういう二つの矛盾する心境から揺れ動いているということだ。どちらも本音だといまはもうわかっている。


ですますを続けていると、ときどき窮屈になる。
エゴイストがエゴイストの自分のためだけに、宝物を追っかけているだけだ。
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