余計なことをする


気づきとしてある「太陽」は、
照らす。浮かび上がらせる。気づく。


太陽止まれー!と言ってももちろん止まらない。
神様の命令も聞かない。


太陽はただある。命令など知るか。


求道者は太陽を求め、自分が太陽だと聞いても、そんな知識には意味がないから探しまくる。


なぜ意味がないのか。それは概念には人を救う力がなく、苦しみは終わらないからだ。


苦しみは「私」から生まれる。


すべては一者から生まれ、一者によって維持されている。
あるのはただ一つの太陽だけなのだ。


いま、あなたは、太陽以外のものを感じている。それが「私」


太陽はただ気づいている。
この瞬間の起こりを見逃していない。努力とか関係ない。
太陽は、ここにある。


それなのに、「私」はあると感じているマインドが止まらない。
それでは苦しみも止まらない。悲しみも止まらない。


「私」を調査しなければならない。
「私」はあると「誰」が感じているのだ?


私は、誰に起こるのだ?


余計なことをしない。1ミリも思考しない。想念を生み出さない。


私は、誰に起こるのだ?


余計なことをしない。


私は、誰に起こるのだ?
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