想念というかたちのエネルギーの散逸


ヘビースモーカーが、禁煙中だとする。
彼はなるべく早く眠りたい。なぜなら寝ている間は禁断症状もないからだ。
なんらかの激痛に悩まされている人も同じ。
寝ている間は痛覚さえ感じなくなる。


熟睡状態では、想念は生まれない。
肉体も、世界も、消失している。


お腹がすくのはいつだろうか。
それは体があるときだ。世界があるときだ。想念があるときだ。


体と世界と想念は継続体だろうか?いや違う。熟睡状態で消失するから断続している。


では、通常わたしたちが目覚めて活動する日中に、
肉体と、世界と、想念に意識を集中しない「状態」がありうるのを理性で納得できるだろうか。


あるのだ。
めざめているが、熟睡状態と同じ状態がある。


なんらかの激痛に悩まされている人がいるとする。
彼は感覚器官を通じて痛覚をもっているが同時に、熟睡状態でも継続していた「常にある意識」ももっている。


常にある意識は継続していて、肉体は継続していない。
肉体があるという想念も継続していない。
肉体に付随するあらゆる欲望や禁断症状も継続していない。


いま、意識の焦点は、
肉体か、世界か、想念か、


または、みえない、顕現しない、意識に向かっているだろうか。
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