昔怪しげな青い人が言った。


全円のあり方。
他人の本質への信頼というフィオラの説明は、nobodyへの直接のアドバイスではなかったからピンと来なくて具体的になんなんだろうと思っていた。
大円境智という語彙も使ったことがあった。


ある段階からわかるようになった。
今この瞬間があって、昔から「今この瞬間」に囲まれているわけだが、
たとえば酸素や窒素という物質に囲まれている「ような気がする」この瞬間(瞬間世界)は、
ある一種類の実在によって構成されている幻想幻惑の世界だ。


その実在は、どんなSF企画も真っ青になる性能のカタマリで。


そのカタマリに対して、頭で境界線を押し付けている(思考を投影している)のが
「人間としての生活感というか行為者の感覚」になる。


その境界線のすべてを取っ払ったときに起こるのが全円と呼ぶのがまさにぴったりな圧倒的「信頼」感。この信頼は、人間の感覚ではない。


だってわたしたちは人間ではないから。


人間は映像側。これは光。光側の感覚が戻ってくると恐れるものは何もなくなる。
光側の感覚は断続的にやって来るのではない。


常にある。
それはスクリーンであって、やって来る断続的なものこそ目覚めと世界と人のほう。
感覚を見失っているのは、思考の投影を「いま現在進行形でやめていない」からだ。
光の感覚は途切れていない。
現在進行形で思考に覆われている。
「私」の強度によって、光の差さない大陸が生まれる。
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Fiora & nobody