真の財産をもたらす角度(過去を見る大竹、考えていない三村、未来を見る大江)
時々まだ読んでくださってる人がいるのを知るとき、嬉しいです。感謝です。
ありがとうございます。今日はそういう気分ですからですますで。
財産には二種類あると思うんです。
一つは地上の金銭的な財産。
そして、神の与えた永遠の財産です。
永遠の財産は増えたり減ったりしません。
最初から、最後まで、始まりも終わりもなく、常に、あるんです。
これは、見えますし、触れることができます。
それが「いま」です。
札束に取り囲まれた自分を思い浮かべてみてください。
腰まで札束の海に浸かっているとします。
豊かですよね?お金は唸るほどあります。
神の財産も一緒なんです。
お金に「限定されない」だけなんです。
たとえば「酸素」だったりする。「みじめさ」だったりもする。
酸素なんかタダだから価値はない!とか、
みじめさNO!いい感じだけYES!とか。
それらはコントロール願望であり、今この瞬間に対する思考です。
神の財産は失われません。
万人が同じように持っています。
それに対する態度が二つに分かれるだけなんです。
どんな二つでしょう。
「いまにいる」と「いまにいない」です。
変えたい願望っていうのは、神の財産に対する態度です。
いま与えられている神の財産に対する態度です。
いまにいない、ってどうするかわかりますよね。
いまにあるからは逃げられないから、いまにあることに「気づいている」ことから逃げるんです。どうやって?
「私」はあると思い込むことによってです。これは想念です。
いまにいないことが、私でいることなんです。
いまにいると、周囲と一体になってしまうんです。
自分の想いを注意してよく見てみれば、今この瞬間に対するイエスとノーしかないんですね。
悟った人?
それは今この瞬間をありのままで、そのままで、イエスと言い続ける人です。
いま、だれにたいしても、なににたいしても、じぶんの想いにだって「ともにある」人なんです。
思考は、これやあれは「あってはいけない」って言ってるだけのことが多いです。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody