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私は思考せずにあるという自覚 その2


たとえばです、一日中うまく「思考しないこと」をコントロールしようとしているAさんと、
一日中「いまの自分を(たとえ何をしていようと)このままでゆるそう、認めよう」としているBさんがいるとします。


Aさんはコントロールしようとしている自分の動機に気づくでしょうか?


「ただ眺める」とは、この動機にありのままに気づくことを含みます。
AさんとBさんでは、おそらくBさんのほうがスムースです。


あることを「ゆるす」ことです。
「ゆるす」ことは「ともにある」ことです。


沈黙は背景ですから、この背景がすべてにつながっています。
熟睡時の沈黙が、目覚めているいまもわたしたちの背景のままです。


活動しているときは上書きしている活動性に自己同一視しています。
上書きは朝目覚めた瞬間に始まります。それをわたしたちは毎朝目撃しています。


寝起きに精神的に「空白」があり、
「つじつまあわせ」が行われるところを目撃します。


「ここはどこ」で、「わたしはだれ」で、「きょうはなにをすべきか」という基本情報の照合を行っています。


この照合から「私」が起動します。
人格OSとでも言うような「自我」が起動します。
昨日活動したのと同一人物(と無意識に継続性を信じている)「私」が今日も起動します。


起動した「私」は自身を「行為者」として認識していますので、
それ専用のモード「行為者モード」「行為者の世界観」が起動します。


自分と他人は分離・独立しており、世界の中をせせこましく今日も動き回るというようなありふれた世界観です。


「私」「行為者」「世界」
これらがセットです。


これが事実ではないことに気づくのは、「想念をまったく起こさないよう努力しながら想念の源を突き止める」までかかります。

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