苦しみ不要派


あなたが今何を体験しているとしても、あなたは神に満たされており、神のなかに存在しているのです。人はつねに何かを体験しているわけで、問題は、至福と幸福と喜びに満たされた体験をしたいのか、それとも分離意識と苦しみと苦痛に満たされた体験をしたいのか、ということです。それだけが問題なのです。なぜなら神はどちらの状態にも完全に豊かに存在しているからです。こちらの状態にいると神から離れるが、あちらの状態にいると神に近いということはありません。ここで私たちがやろうとしていることはつまり、今まで幾世にもわたって苦痛を志向してきた人々の意識が、別の方向に行けるように、それまでの方向からそっとはずしてやることなのです。


苦しいのは端的に言えば動くからだと思うんです。
何かをしようとしたり、何かを変えようとしたり、何かを達成しようとしたり、そこにはゴールがあって移動が生じます。


真我が移動できないものだとすると、移動する人には真我は10年かかっても見つからないという残酷な話になります。行為する人には見つけることができません。


必要なのは発想の転換で、「止まって」ということです。
止まるのは体ではなくて、見方です。


逆転の発想で、「もう悟っている」「もう覚醒している」「もう体験している」「もう(柔道で言えば)がっちり組んでいる」


この逆転の発想が完全に身に染みたら、終わりだと思うんです。
マラソンの途中で、「もうあなたはとっくにゴールテープを切っている」という沿道の声に素直に耳を傾け、納得し、自然と足が止まったら、苦しかったマラソンは終わりではないでしょうか。
それでおそらく一度目の悟りは完了しているように思います。


「頭のなか」すこし「楽」になりましたか。
微妙なくつろぎが身に染みましたか。そう、動いていたから「ただある幸福」に上書きしていたという事実。笑っちゃいますよね。でも苦しんでいる時は、本当に一条の光も見つからなくて、どつぼです。暗黒の世界です。


光は
「私」がいない場所、「動いてない気づき」の場所
そして「創造」がすべて完了している場所です。


苦しい時はめちゃくちゃ苦しいです。
悟り・覚醒を目指す前の全員がよくわかっています。


わたしたちは兄弟姉妹に苦しみを志向してほしくてスピリチュアルなことを書いたりしません。
もう少し楽になろうということで書いています。


苦しみは不要です。
そのために「私は誰なのか」あらためて見据える夢の旅です。

この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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