発声器官がないから
あの世では肉声が出せないんですね。だから全部テレパシーです。
この世ではテレパシーが通じない(通じにくい)のは肉体があり、自我があるからです。
これは大会議室を細切れのパーティションで小部屋に分割するようなものです。
この世の体験とはパーティションで仕切られた小部屋の体験です。
あの世に戻れば隠し事も何もできません。想いは筒抜けです。
これをいい意味にとらえますと、話がとても早いです。さらに孤立がありません。
声というか、肉というか、そういったものをかたどる「器」があると逆に分割・分離が生まれるんですね。
肉体はまさに器であり、人と人の想いを仕切るパーティションです。
大部屋と小部屋。
真実はどちらにあるでしょうか。
わたしたちは一体だというのが常に真実です。
醜いものから遠ざかっていないし、優しさから無縁の人もいないんです。
最近思うんです。
死はないですよ。でも、「死ぬほど痛い」はありますよね。
この「死ぬほど痛い」を→「(肉体が)死ぬほど痛い」と見ることもできます。
「(心が)死ぬほど痛い」と見ることもできます。
痛みというのは、分割された小部屋に起こるんです。
パーティションを「維持しようとしない」ならば、痛みはなくなります。
あるのは強烈な感覚であって、痛みと判断する理性を働かせないこともできるんです。
分離を強固に維持しようとしているのは「誰」でしょうか。
分離の世界を強固にコントロールしようとしているのは「誰」でしょうか。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody