書きながら眠ってしまいました。
七夕ですね。
お返事を含めて続きを書きます。



私の独自の感覚の中で水先案内人をしてくれているのが青いイタリア人の存在です。
このイタリア人が言うこと、認めること、示唆すること、に最大の信頼を置いて行動しています。


フィオラが言うには、創造神を皇(すめらぎ)と言い、神のなかの神である皇は一人一人の胸に球体として住んでいます。


運命、や、転生、の命令を下すのは皇です。カラオケの採点をするかのように胸に陣取って実地で人生を味わっているため、何ひとつ騙せません。


すべては完璧になってるよ、とかお決まりの文句がスピリチュアルの世界にはありますが、
それとは別次元の話でして、この採点基準は甘いものではありません。


この世からあの世へ移行したスピリットで生前の態度の後悔をしていない者はほとんどいないそうです。
罰を与えられるということではなく、貴重すぎるチャンスを活かしきれなかったという後悔です。


上の写真は私の感覚です。
サーフィン中に水が渦を巻き、ひとつの回廊になっています。


この水がすべて光だったらと想像してみてください。
光に回廊のように(無限に広いけど)覆われたワンネスの感覚が、大いなる愛の光の感覚です。
そして、人生の全瞬間を通じての人間の経験の状況です。


あらゆる画像・体感・匂いなどはすべてが同一の「光」です。もちろん自分の肉体も含めて。
大いなる愛の光がすべてを司っていることを瞬間的に思い出します。


光と愛は同じもので、愛は光の「感覚」側の側面です。


たとえばいま目の前にゴキブリがかさかさと3匹現れたとします。
ゴキブリ×3と自分と周囲の物質と空気と電波と何もかもが「ひとつ(不可分)」の「光(同成分)」です。


そして光は動いて映像を移し変えますが、
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Fiora & nobody