ゴールテープと疑う者
最初はマラソンだと思ってるんです。ゴールテープは何十キロか先、未来にあって、栄光のゴールまで走り続けなければならない。
ところが、沿道から声がかかって
「ゴールテープはもう切ってるんだよ!!止まっていいんだよ!!」
怪しげな声がします。
何度も何度も言われているうちにその声に気をとられはじめます。
(もうゴールしているだって?そんなバカな!)
疑う者が内面で声をあげます。
沿道の人に聞きます。
「あんたたちはそう言うけど、この今に何があるって言うんだい?」
「求めてるから、光が見えないんだよ!止まって!いいから止まって!」
「冗談じゃない!そんな怪しい話で止まれるわけないよ。せっかく今まで頑張って走ってきたんだから」
こんなやりとりになります。
この発言の主「疑う者」をとらえることです。
誰が、疑っているんでしょうか。疑う者はどこから生まれたんでしょうか。
自分のなかで彼、彼女の現在の地位はどんなものでしょうか。
例外なく、「疑う者」はほぼすべての主導権を握っています。
一日の内ほとんどの時間、「疑う者」がすべての「的確な」判断と「迅速かつ丁寧な」行為をしていると「自分で信じこんでいます」。
疑う者の声は想念として聞こえます。
頭の中に鳴り響くその声は聞こえるけれど、今まではそれを自分と「同一視」していたため、セキュリティゲートは完全に顔パスで通してしまっていました。
この人、関係者じゃなかったんでしょうか。
このデカイ顔をした「疑う者」を止めてください。
一回一回、止めるんです。
「ちょっと!私を誰だと思ってるの!?」
それがわからないから止めているんです。
IDを要求してください。
どこから来たって言ってますか。
いま二人います。
「疑う者(想念のラスボス「私」)」と「見ている者(疑う者に気づける無口な警備「沈黙」)」です。
この二人が、双方ともに正当である限り、全体像は見えません。
どちらかが錯覚なんです。
でもただの錯覚ではありません。
「疑う者」が何を想い、どのような役割を演じているか、そしてなぜ何度も何度もゲートをくぐる行為を繰り返しているか、突き止めるには徹底的な調査が必要です。二重スパイの可能性すらあります。
昼間の月は、太陽の光で薄く消えていきます。
心(月光という間接照明)を通して世界を見る必要性は気づき(日光)の下ではありません。
なぜ心を用いて世界を見ていたのか。
行為者の感覚とは、なんなんでしょう。
行為しなければならないと考えている理由とは。
真我の感覚、目覚めの感覚、大いなる愛が失われたかに見える理由を突き止めてください。
愛は、分離、区別の下では感じることを妨害されるんです。
絶対は相対に邪魔されています。
気づきという非顕現が非顕現に気づくと愛は迸ります。
肉体に依存しないことが人間にはできるんです。肉体ではなくて光だからです。
真実は「ひとつ」です。
ひとつの「感覚」が愛です。
ひとつの行為が「在る」です。
在るとゆだねはどう違うんでしょうか。
愛は常に在るのに、この人「疑う者」が
かぶってます。
私が気づきという言葉を使うとき、いつも、本当は気づきじゃないんだけどなと思ってます。
でも「無」と書くと想像がしにくいんです。
その存在は常識でも想像でも「ありえない」ような存在だからです。
ですから「虚空」とこの日記では表記しています。
存在・意識・至福
の
存在が虚空です。これがフィオラの言う絶対の「自由」です。
これが最上位でマーヤーによって覆い隠されることのないリアルです。
意識は純粋意識を意味し、動くもの「波」を意味します。創造の神「皇」とわたしたち「星」がひとつながりの純粋意識です。この純粋意識を大いなる愛の光と呼びます。
至福は虚空が起こした「皇ビッグバン」以降の創造の目的とも言えます。
これは段階があり、地球で覚醒まで至った場合は、次の星、また次の星とステージが与えられ至福がより強化されていきます。これは天上の世界で「光の存在」たちがやっていることなので、地球人のやっていることと違って半端じゃないです。
「魂と高エネルギー体」のような「乗り物」をわざわざ創った背景は、
創造の至福にあります。
と、私が感じていることを書いています。
幼少の頃の景色と感覚なので、信憑性ゼロとしてください。
フィオラは言うんです。
星空を忘れないでください。人は一人一人が輝く星で、天が欲しているのは星空です。
すっごくくさい台詞ですけど、
星空がモデルケースなんですって。
光のオーケストラは星空なんです。
skさんにお返事しようと思ってたんですが今夜も話のポイントがぐだぐだしてしまいました。
また明日です。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody