こんばんは。高まる、について続けます。


1、苦しい または なんかつらい
0、暖かい または なんか幸せ


1番を感じていたら、1番こそが問題なんです。
誰とも関係なく自分の問題です。


1番を感じているのは「分離感」を維持する想念を今この瞬間に放出しながら
0番の源を忘れているからです。


即刻、いますぐ、0番を感じる状態に戻らなければロクなことにはなりません。
不幸は不幸を呼ぶだけです。


「わたしは在る」に戻るんです。


どんな苦しみを生み出すマーヤーも無関係な究極の精神安定剤は
「わたしは在る」からやって来るエネルギーです。


存在の確実性に意識の焦点を集中することはホラー映画の世界のような絶望的状況においてさえ
絶対に機能します。


だって、存在が「ない」なら、
悩みだって「ない」ですもの。
悩んだり苦しんだりすること自体が「在る」の直接的体験です。


この直接的体験に、余分な想念「私、分離しちゃった」が混じっているだけなんですね。


もし、本当のわたしが肉体なら何も起こりません。
ですがみんなの言うとおりわたしたちが光であり愛なら、尽きることのないエネルギーが湧いてきます。


「わたしは在る」で「高まる」が感じられる方はそのままいけばいいんです。
感じられない場合は「私」という想念を排除する必要があります。


ですからお勧めの順序は


「私」はない→わたしは「在る」


です。
こうすれば落とし穴にかかることなく、高まるに移行できます。


想念が複雑に連携し、感情に巻き込まれ、混乱してきた場合は、お勧めできるマントラとして
「常にある」があります。


これはテレビを見ているときとか、瞑想には最も向いていないと思う瞬間を
そういう固定観念ごと一気に変容させることができます。


真我は常にあり、神は常にあり、光と愛は常にあります。


常に「はないだろう」と考えているのが、疑う者、想念です。


困難に立ち向かう前に、高まってください。


それは5センチの自分で対処するのか、


3000メートル級の本当のわたしで慈愛を放射するのかの違いです。



海が溶けた水滴


海に水滴が溶けるのは普通です。
水滴に海が溶けるんです。


フィオラは
あなたの目は全体性に開いた窓だと言っていました。
個人化を望んだのは、全体そのものなんです。
ですが寂しくただの一人の個人として孤独を噛み締めるためにそうしたんじゃありません。


個人という水滴のなかに、
全体としての海を溶かすためにそうしたんです。



わたしは全体の具現です。


どんな想いも軽視することはないんです。
人の幸福は、わたしが今この瞬間、
神の一部だと感じられるかどうかにかかっています。


わたしは愛。そう断言するために生まれたんです。
至福として沈黙の実現のために生まれたんです。



沈黙がもうあって


何かを見るとき、その何かに名前をつけようとするか、記憶を引き出そうとすると、
頭のなかで何かが盛り上がるのが見えるんです。


その感覚はまるで平面の世界に何かが「浮き上がってくる」感じです。


それはそれとして浮き上がってくるので、
それが善なのか、悪なのか、は後で別の気泡として浮き上がってきます。
解釈は後で別に発生することももちろん見逃していないということです。


沈黙は、しゃべらないことではないんです。
しゃべっていることのすべて、浮き上がるすべてを感じている自分に気づくことです。


「これ=この自分」は人型ではないし、価値判断を行っていないです。
価値判断を行っている人型を浮き上がらせる気づきなんです。


愛は光の感覚の側面だと書きました。


愛はどこ?
「気づきとともにあれば」「気づきの感覚が愛」だと気づきます。
気づきは光ですね。


気づきは見えません。心の対象になりません。
これは大事なことです。心に気づくのが気づきであって、気づきに気づくのは心ではありません。気づきに気づけるのは、気づきだけです。
心では追えないんです。これが非顕現です。
でも、いま気づきが「働いている」ことは誰でもわかります。


顕現に気づいている湖面に気づけるからです。
その湖面は0秒です。0.01秒ではありません。遅れはありません。
つまり気づきではなく、体験そのものなんです。


0秒の気づきから遊離するのは心です。
心を制御しようとみんなが苦心しますが、苦い心と書くとおり苦心しているのは捕獲対象の「心」なんです。


泥棒が警官のフリをしている。
ですからそんな不毛なことはやめて、0秒の気づきに忠実に在ります。


自己想起を5分間忘れたとしますよね。
今この瞬間、忘れた事実がどこにあるでしょうか。どこにもありません。
ですから今この瞬間0秒の気づきで在るならチャラなんです。


気づきが在るのであって、修行者などいないんです。
修行者がいるのは記憶の中、心の中です。


あるがままこそ、わたしたちなんです。



ずるい自分、に気づける自分、両方が視野に入ったら
すこし変わると思いませんか。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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