人の頭の中は話す速度の約50倍のスピードで考えています。


常に考え、そして忘れ、考え、忘れの繰り返し。


そんなサイクルの中で言葉にして発したことは自分の意識として認識するものです。


だから考え、忘れることでも言葉にしてしまえば自分の考えとしてしまいます。


この「自分の考え」という解釈が落とし穴です。


想念を発した主体は「個人」で、それはこの継続した「記憶」をもつ「私」だ、と考えます。


だから「私」とは「実体」があるのだ、と。


この想念がすべての解釈の下地になります。


実体が一つでもあると「分離」なんです。


なぜなら存在するすべてはゼロで一つだからです。


何もないとき残るものが唯一の実在で、それが「ひとつ」です。


その実在の上に何か一つでも実体があるものはありません。


すべては虚空です。


結局、この「分離」を感じているのか、「一なるもの」を感じているのかどちらかしかありません。一なるものですら感じているという状態はその内消え去って、ただ「あるがまま」が残るのだと思います。



ドールハウスという海外ドラマわかる方いるでしょうか。
人間の頭から記憶を取り出し、依頼者の依頼にあった記憶をインストールした人形(ドール)という設定が出てくるのですが、私達もドールなんです。


人間じゃないんです。記憶を埋め込まれたドールなんです。


私達の場合はもう少し恵まれた設定ですが、記憶によって、自分を人間だと思っているのは同じです。


昨日の記憶、1年前の記憶、10年前の記憶、生まれたときの記憶、そして生まれる前の記憶。


すべて記憶によって、個人のアイデンティティを保っています。
それがなければ最も親しい人にかける言葉すらありません。


その記憶が事実だと保証する者はいるでしょうか。残念ながらいません。


私達は、光が(一時的に)人型をしているエネルギー体で、肉と骨と血でできているように見えるのは見せかけにすぎません。


あの世でも人型をとれますが、全員が光です。



プレデターの視界です。この話また今度にします。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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