青い方と私の感覚の違い


青い方には逆らわないほうがいいと思うようになってから、青い方が特に神経過敏になるポイントがわかってきました。


それは、物理的に、精神的に、心情的に、ありとあらゆる人間活動的に、


一切の攻撃をしてはならない、ということです。


わかったつもりになるのはたやすいこと、でも、本当にその方の「涙」がわかるのですか、といつも問われます。


傲慢さ、というのは、見せかけであって、本当は分離の苦しみに悶えています。


愛というのは、単純な話で、いま善人であることでも、いま悪人であることでもありません。


なんのてらいもなく、作為もなく、ともにある、ことです。


嘘だ!○○は一緒になんかいないじゃないか!と思ったとしたら、そう見えているだけで、本当はいます。いま、います。


特定の形や、特定の状態や、特定のイメージにあてはめようとするから、


いま目の前にあるものがいったいなんなのかがわからないだけです。


わたしたちは、全体から離れていないんです。いま、離れていません。


3月31日に分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)のことをフィオラが突然言い出したとき意味がわからず書いたんですが、タヌキは「他抜き」を意味していて、


「他がある、と想像するのをやめる」ことだそうです。
フィオラの言う修練の基本です。
それを「分福」と呼ぶのだと。


すべては、いま、ここにある。


分離がないから、ここが全体です。唯一で、全体。だから場所の指定はいらないんです。


いま、ここに、ともにあることを愛といい、
すべてがともにあることを思い出していく過程が覚醒めです。


この日記を書き始めてからフィオラが私を褒めてくれたのは
3月20日の記事を書いたときでした。あれが初めて直接褒められた記事でした。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody