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真実は「自明」です。
大いなる(愛の)光に触れたとき、人はすべてを一瞬で理解します。
それが自明だからです。
自由で、愛で、歓喜で、絶対で、ひとつです。
今までのすべての苦労は報われますし、あらゆる疑問は氷解します。


あなたが純粋無垢な真我を見るなら、それがニヴリッティ(放棄)です。世界とともに真我を見るなら、それがプラヴリッティ(行為)です。別の言葉で言えば、内面に向かった心がニヴリッティで、外面に向かった心がプラヴリッティなのです。いずれにせよ、真我を離れて存在するものなど何もありません。どちらも同じことです。
霊的階級についても同様で、それらもまた真我なしには存在できません。それらは真我の中だけに存在し、真我として在り続けます。それゆえ、真我実現がすべての人にとっての唯一の目標なのです。ラマナ・マハルシ


体験から確かに言えることは「真実は明るい」ということです。
暗いとか重々しいのは、どこかに誤解が混じっています。その暗さを「可能にするのも真実」ですが、暗くする必要があるとは誰も言っていません。


この誤解、つまり無知の混じり具合のために用意されたお風呂、浄化槽がこの世です。
人はみな、お風呂に入りに来たんです。
無知を落とすためです。


注意力の分割は自己想起の始まりへと導いてくれる。自己を想起している時、注意力の分割が起こっているのは確かなことである。では「自己」とは、注意を向ける対象としての思考、感覚、感情であろうか?眠りの意識状態では、自己同一化を通して、こうした思考、感覚、感情がまるで当然のように「自己」だと思われている。だが、
「自己に気づく」とは、むしろこうした思考、感覚、感情に気づいている自分に気づくことである。


自己に気づくとは、顕現に気づいている非顕現に気づくこと、ですね。



「この考慮(内的考慮)にはいくつかの種類がある。最も一般的な場合、人は、他人が自分をどのように考えるか、いかに扱うか、またどんな態度を彼に示すかに自己同一化する。彼はいつも、人々は自分を十分に評価していない、自分に対して十分に礼儀正しく丁重でないと思っている。
こういったことはみな彼を悩ませ、考え込ませ、疑わせ、あて推量や推測で多量のエネルギーを失わせ、人々に対する不信や敵対心を増大させる。他人が自分をどのような目つきで見るか、どう考えているか、何を言っているか ― こういったことがみな彼には非常に重要になってくるのだ。
この他にも、人間から多大のエネルギーを奪いとる別の形態の考慮がある。この形態は、人が、自分は他人を十分に考慮していないし、また相手はそのことに腹を立てていると考えだすことから始まる」ゲオルギイ・グルジェフ



この内的考慮はすごく共感できる自己同一視です。かなり重要だと感じました。


「自分がしていることのみならず、それをしている自分自身を意識する瞬間がある。『私はここにいる』という場合の『私』と『ここ』との両方を、あるいは怒りと怒っている『私』の両方を理解する。これを自己想起と呼んでもよい。 こうして『私』と『それ』が何をしているか、『それ』がどの『私』であるのかを常にはっきり気づいているとき、あなたは自己を意識するようになる。この自己意識は第三の意識状態である」



このグルジェフの発言は、私の前に「行為者の」をつけて「行為者の私」とそれが何をしているか(行為)の両方を意識する自己意識が第三の意識状態であるとも言い換えられます。
つまり、肉体=私という想念はそのままにしておいて、その行為者を客観的に意識する意識状態を自己想起として解説していることになります。


肉体=私、または、行為者の私がいる、という想念自体が極めて危険なため(ラスボス)、私はこの説には反対ですが、私は肉体ではないという話がピンと来ない初期段階でなら説明の方便としてはアリだと思います。


やっぱり、ナシかもです。グルジェフは少し拝見しただけでも「獲得」するという方向の言葉が多くて、彼自体の理解が不十分だったのかもしれません。とはいえ、非常に優れた洞察が部分部分に滲んでいます。内的考慮は今日一番ぐっと来ました。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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