生命の泉


「受信状態」に近いと思います。状態ではない、そしてスイッチのない、継続しつづけている全方位受信です。


下図のとおり太陽があり、虫めがねがあり、焦点があり、黒点があります。
太陽=真我
虫めがね=自我(記憶)・心
焦点=心を通した(意識の)焦点
黒点=心が同一視する対象


感じること=全体に開かれていること(太陽)
考えること=一点に焦点を収束させること(虫めがね+黒点)

思考とは心(マインド)の焦点を想念と同一視することです。
同一視は必須ではありませんが、考える時点で
「私が+考える」
としていることが多いです。


「私が+努力する」
と同じで、この「私」は人間である、肉体である、世界の中にいるという想念ですから、この大元の想念を「潜ませながら」考えるということは、


考える内容のすべては大元の想念の「限定」を受けていきます。
そんなことはできるはずがない、と彼・彼女が思うことは、思考の題材にも浮かばなくなります。


あらゆる想念は本来流れていくものです。
とどまるものではありません。ですが、虫めがねの「私」は記憶に基づいていますので、あらゆる対象の見方であり、マインドの焦点の習慣ですから簡単には流れません。


考えるときは虫めがねに基づいて考える以上、それ以上の解答は出ません。
珍しくクリシュナムルティを載せました
「いま在るものへの全的な気づき」そして、「観察者なしに見ること」
これらは太陽であり、感じることです。虫めがねを通さずに見ます。


そうすれば、虫めがね「私」の発生のタイミング、「同一視」のタイミングに気づくようになります。


努力して、一瞬も気を抜かずに、想念観察を続けなくては!
と思わないでください。


努力は既に「私」が潜んでいます。
何をしても「いいです」。何をしなくても「いいです」。


あらゆる可能性の集合、全体の光、「ひとつ」は変わりません。
わたしは、あなたは、「ひとつ」の一部です。


どんなに手痛い失敗をしたって大丈夫、「ひとつ」です。


「私」の生み出す「緊張」に気づいてください。
そして、笑っちゃってください。
緊張させているのはただの「私」です。


ナマケモノは「私」を見過ごしません。



最後にひとついいでしょうか。
よくないと言われても書きますけども。


コレを変える。


アレを手に入れるのではありません。
唯一のコレを変えるんです。


そうすると地平が変わりませんか?
否応無く付き合ってきた「コレ」
現実と呼んだり、ときに地獄と呼んだりしちゃう「コレ」から逃げずに、
コレを徹底的に調査する探検隊の覚悟を決めるんです。
コレが光だったら、どうします?


わたしたちがわかりあえるのは、コレを共有するときだけなのではないでしょうか。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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