トータル!
瞬間を縦につなぐのをやめるんです。1秒前の瞬間(記憶された単なる想像)といま(リアル)がつながっていると思う(架空の構造を想定してリアルに分離をもちこみパワーを失う)から蜃気楼に巻き込まれます。
あるのは、いまという「輪切り」の瞬間だけです。
光うんぬんと書いてしまえばピカピカ光っている特定のイメージに惑わされますから、イメージは重要ではありません。
愛だとかも書きたいわけではないんです。
言いたいのは、「ひとつ」を捉えること。そのためには「ひとつ」で在るしかありません。
スピリチュアルな教えが意味しているのは、この瞬間を「トータルに力に変える」人と、そうでない人がいるということなんです。
輪切りをトータルに自分の力に転用してしまう人は、どんな「敵対する人物」の力も自分の力に転用できます。なぜならすべて自分だからです。
すべて自分だから操作できるのではなく、すべて自分だから操作する必要がないんです。
縦につないでいる人は「次の瞬間を操作しようとしている」から緊張していたり力みが生まれています。独特のルールとやらなければならないことが頭により指示されていますから大変です。
次の瞬間って何でしょうか?
それは分離を信じているからこその「デジタル」な発想なんです。
本当の時は連続体なのに、ブツ切りにしたような1秒空間を輪切りにして積み重ねています。
1秒前空間と1秒後空間は空想ですから実際に存在していません。
今この瞬間から1秒後の空間に「移動」しているでしょうか?
していません。年の変わり目にその場でジャンプして、「年越しのとき、地球から離れてた!」と主張する感じです。
すべてはつながっています。離れているのではなくて、私たち自体が流れの一部なんです。
変に「地面」とか「接触」とかいう概念を持ち出すから「そうか!接触をコントロールすれば地球から分離できるんだ!」とか分離が可能な気がしてしまうんです。
私たちの血も肉も骨も、大地から創られています。
地球と分離した存在ではありません。同様に宇宙創世のビッグバンとも分離していません。
物質というのもイメージにすぎません。
大雑把に正しく言えば、わたしたちは素材が何であろうと分離の決してない「ひとつ」です。
今この瞬間と次の瞬間は「ひとつ」ですから、区別自体がないんです。
ひとつを操作しようとする必要はありません。
仮に部分が全体を操作しようとしても、それが成功しようと失敗しようと「ひとつ」です。
条件の有無に関わりなく、「ひとつ」は「ひとつ」です。
わたしたちが「ひとつ」ですから、それそのもので在ればいいんです。
虚空の潜在的可能性はすべてがもう実現し、「完了」しています。
わたしたちがこれから何をしようとしても、「完了済」なんです。
わたしたちはただ、在ればいい。
完了済の可能性がトータルに展開されていきます。
自発性をなくそうということではありません。
自発性とインスピレーション、観照と調和はひとつということです。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody