「努力することなく」気づいている


真我の特徴です。気づいているのは認識されやすい特徴ですが、努力していないことはあまりスポットライトが当たっていません。


努力しているのは自我であり、それを第三者的にぽかんと見ているのが真我です。


努力のしすぎで苦しくてたまらないとき、あなたならどちらの立場に立ちたいですか?


100人にアンケートしてもおそらく100人がぽかんと見ている立場に立ちたいと言いますよね。


もう「その立場にいる」んです。
最初から「その立場にいる」んです。


では、今までは何が起こっていたんでしょうか?


努力している!という自我「私」を本当のわたしと同一視していたんです。


強烈に自分を「肉体」だと思い込んでいますから、肉体の彼・彼女に、そして彼らの行為に感情移入しすぎているんです。さらに周囲(肉体の外側)の気づきをシャットアウトしています。本当のシャットアウトはできないので、気づかないように周囲に対して無意識でいます。


肉体だと思い込んでいますから、
「何者にも依存しない気づき(光)」を
「肉体の五感を通したデータ」として解釈しています。


「肉体があるからこそ、気づけるのだ。肉体が機能停止したら、わたしは死ぬのだ」と
「考えて」います。


上の写真を見てください。
うらやましいナマケモノ(真我)がいます。


歩いているのは肉体のほうです。努力しているのは肉体のほうです。
努力していると主張しているのは「私(自我)」です。
行為者の私がいるという「想念のボス」です。


今後もし「努力」という二文字を見たら裏に「私」がいることを意識してください。
努力という言葉を発するのは「私」しかいないからです。


この「私」が発生する場所が、「スタート地点」であることに気づけるでしょうか。
ナマケモノは気づけます。「私」は気づけません。


ナマケモノが目を開いている場所がその「スタート地点」です。
「私」が発生するのを見過ごしているのは、そこに立つのに何も必要としない「スタート地点」です。


あなたは何もしないとき、どこから見ていますか?
世界を見だしたら手遅れです。
世界を見る時は既に「私」発生後だからです。
「私」を通して世界を見ると気づけません。


スタート地点に戻ってください。
スタート地点に「私」はいますか?


努力する私、って何ですか?
それを見ているスタート地点に努力はありますか?
第一段階に「私」が忍びこみ、第二段階に「努力」が忍びこみました。
さらに第一段階の前があるかどうか検証できます。


スタート地点に戻ってください。
移動の必要がないスタート地点に「立っていることに気づいて」ください。


あなたは本当に「覚醒していない」のですか?
そう主張する「私」の発生を、スタート地点で目撃しているナマケモノは誰でしょうか?



質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、つぎに私にできることは何でしょうか?


マハラジ  もうすでに言ったはずだ。あなたではない、すべてを発見しなさい。身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたではない。あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかもしれない。単に言葉による表明だけではだめなのだ。あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。



ニサルガダッタのこの誘導も叡智に満ちています。
実行しやすいかは別問題として、構造を説明する叡智としては最高峰です。


顕現は、ほんとうのわたしたちではありません。
ほんとうのわたしたちは、これではない、あれではない、と一つ一つ確かめていかないと虚空、ひいては「あるがまま」とは何なのかがわかりません。


ほんとうのわたしを顕現と同一視しているから、現在の意識が混乱しています。
同一視を取り除くしかありません。ですが、真我ではないものと真我を同一視することしかできない「心(マインド)」に除去作業を任せると堂々巡りで時間がかかります。


心(マインド)を見守れるのは「気づき」です。


心は「想念」でべらべらしゃべります。
気づきは「無想」で沈黙しています。沈黙している「状態」じゃないですよ。もともと沈黙なんです。


上でも言いましたが「私」が「努力」しているとか言い出したら、もうダメです。
彼は刑事ではなく、泥棒です。


この特徴をよく見極めないと、今どっちが主導しているのかわからなくなります。
今どっちが主導しているかは、頻繁に確かめていないと危ないです。
でも確かめるのを努力したらダメです。これが厄介です。


心を見守る気づきは、言い換えれば
努力を見守るナマケモノです。


常にナマケモノ視点に戻ってください。


それは結局、努力も努力しないことも何もかも「ひとつ」だと、世界を飲み込んでしまうくらいにありのままに生きている人のことです。


どしゃ降りの日がたくさんあります。うまくやろうなんて思わない。
すべては、ひとつです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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