分福


分福(ぶんぶく)というのはですね、比較せずに、そっくりそのまま、いまあるものをいまあるものとして「ゆるしている」正直者に発生する光の渦なんですね。


「」内が分福の正体だと思うんです。
持ってないもののことを獲得したい!と思う「必要はない」んです。
なぜなら、最高の神様はあなただからです。


そうではないと誰が言っても聞き入れる必要はありません。
創造神も、創造神の存在すらゆるす者も、あなたです。
あなたより偉い人はいません。


その最高神のあなたが「わざわざ演技している人の姿」が現在のあなたです。
誰が何と言おうとも、完璧です。
(完璧ですが、人として生きる上で、愛だけは指針として捨てないでくださいねと諸先輩方が忠告してくれています)


だからこそ、劣等感があるのなら、それをそのまま「ゆるしている」かどうかが大切です。ゆるしていない場合は「獲得獲得!」とエゴが言い出しますから、分離した世界の中で動き回る努力の冒険活劇を続けなくてはなりません。


いまあるものを「ゆるしている」場合のみ、
トータルの力が発動するんです。


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二(荷)をゆるめよう


青い方が耳元でぼそぼそ言ってましたので、書いてみました。
あらゆる顕現に気づけるのは既に全的な受容が在るからで、からっぽさを実現しているからです。


荷物(二つ以上に見える視界)を運ばなきゃいけないと思い込むのやめましょ。
と言っていました。


進撃の巨人という漫画を知らない方には申し訳ないのですが、いま人気の漫画があるのですね。巨人が人間を捕食するので絶望的に不利ながら巨人の進攻に抗う人類という設定です。


人間が普通サイズで、巨人が身長15mから50mなんです。


この漫画は自己認識のとてもいい素材です。
巨人が襲ってきます。人間は戦います。


わたしは巨人でしょうか?わたしは人間でしょうか?
どちらも違います。


わたしは気づきでしょうか?
「ちがいます」


わたしは表現できるあらゆるもののなかのどれか一つまたは全部である?
「ちがいます」


わたしはどこにいます?
「いまここにあります」


わたしには名前は与えられる?
「いいえ」


追いつくことはできない?
「  」


「  」?
「  」


真我実現とは、あらゆるものとの同一視の排除です。
同一視を片っ端から切って捨てる。それが修練です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody