光の合流ルート15日目


どうしたら自由になれるのか。


昨日フィオラに陰の解放について指摘されたため、それも踏まえて手法をよりわかりやすくします。


起きている間中ずっと何をしていても静寂に留まり続けています。
忘れたら思い出す。ただその繰り返しです。


静寂(気づいている意識)

動揺している時、動揺に気づいている意識は動揺していません。
思考している時、思考に気づいている意識は思考していません。
この気づいている意識(静寂)に常に留まり、思考感情をできるかぎり発生時点から自然観察します。この視点からあらゆる体験ができるようになるまでの反復訓練です。
具体的な場所がわからなくて集中できない方は、
脳内の「松果体」に意識の焦点を移動させ接触させ続けた状態で行動してください。
赤い位置です。半眼で移動する意識の焦点もここです。
慣れるまでは思考発生感情発生に気づいた時点で松果体に戻る、それだけで十分です。
慣れたら定着するまでは起きている間ずっとここに接触しながら日常を送ります
あくまで定着するまでであり、定着後は注意を払う努力はいらず、観察を続ける中で認識は変容し、真の自分が肉体の中ではなく遍在であることに気づき移行(再統合)していきます。


思考観察
一つの思考が発生するたびにその内容を掴もうとすればどれほど難しいことかすぐわかります。大切なことは「静寂」に接触しているかどうかであって、思考を思考で分析解剖することではありません。思考の内容を掴むことには気を配らず、大雑把に思考が発生しているようだと認識します。思考はやって来て、通過し、去って行きます。これまでは海に下ろす碇があることに気づいていませんでしたが、今は違います。思考発生に何となくハッと気づいた瞬間にその気づいた意識(静寂)に接触し接触し続けます片手は碇に触れ、通過する波をなんとなく「波だなあ」とやり過ごします。波の形状や勢いや歴史的に荒々しい波だったなどと感心して碇から手を離さないでください。初期において、これ以外にも静寂を維持しようとすると、何が静寂かわからず、逆に空回りします。最短では3日ほどで静寂視点に留まりきりその後完全に定着に入られる方もいるようですが、無理をしないでください。私などは1ヶ月かかってもどうしようどうしようと思考で思考を呼んでいました。イライラの多い仕事・家事・育児中はどう考えても?難しいです。初期はゆっくりと思い出すだけで十分です。最初の一週間は1日10回静寂を思い出しただけでも大成功だと私は思います。


感情観察
胸の中心奥や喉などになんらかの感情または熱エネルギーの動きがあるか自然観察します。胸の中心奥に熱エネルギーを感じた時は、それは他の感情と違います。注意していてください。
感情を避けようまたは保留しようとしません。理性で防御パターンに入りません。自然観察です。外部の原因と思われるものを非難するパターンもストップします。つまり怒鳴ることも嫌味を言うことも舌打ちもしません。感情を変えようともしません。ただ静寂に留まり押し黙ったまま、胸の奥に出現した感情をそのまま観察します。これは我慢とは違います。一体この感情はわたしに何を言っているのかをありのまま観察します。言っていることがわからない場合も気にしないで静寂に留まります。あなたがネガティブな感情と呼ぶ感情を閉じ込めないでください。静寂の中でありのままにし、迎え入れます。この感情の言うことに耳を傾けず、理性の防御パターンに入ると各チャクラ(エネルギーの扉)を通るはずのエネルギーが詰まりはじめます。これが人生の問題に発展していきます。フィオラの言う陰の感情の解放のやり方を記載しておきます。


Fiora
井戸に蓋がしてあります。井戸は胸の中心で源球に通じています。嫌な思い出、嫌な人、嫌な場面を全てノートにまとめ、関わった「今ありのままの自分」を愛しているか確認することです。今ありのままの自分を愛していることに気づくのならば、嫌な人の顔を愛していることにも気づいていきます。一日一場面でも構いません。幻影の蓋を炎に溶かすのです。蓋が蓋であるのはあなたが目を背けているから。それだけです。回想シーンを都合のよいように変えるのではありません。あなたが「それでも」自分を愛していること、その場面の関係者全員をあなたは本当はどう思っているかに気づいていくことです。今愛に気づく力があなたにあるでしょうか。あります。


(愛について)
胸の中心奥に感じる熱エネルギーは「
」と呼ばれています。一般的な愛という単語でイメージする感情とは違います。口角が上がってしまう、笑顔にならざるをえないような無条件・無償の愛と呼ばれるあなたの内部に存在するエネルギーです。男女間の恋愛感情とは全く別のものです。
今ありのままの自分を無条件に愛している本当のあなたのエネルギー、消滅しない実在のエネルギーです。知るための具体的な方法は「わたしは今ありのままのこのわたしを愛している?」という質問を胸に直接投げかけます。思考で答えません。問うだけです。
目安として
第一段階は胸の中心奥に「ちらちらと動くような熱エネルギーの動き」を感知できること。
第二段階はその熱源が「市販のカイロのような熱を発する」までになることを体感すること。
第三段階は「両肩まで燃えるような熱の拡張」を感じ、強制笑顔が発動することを体感すること。
(人生で誰もが感じる一過性の感情ではなく、この無条件で体感できる至福という正体不明のエネルギーが自分の内側に実在することを知っているかどうかが今後の過程全体の要になります。信じるのではなく、知っているかどうかです。実在を知らないなら、目に見える世界以上の世界が自分の内側に広がっていることなどいい大人は信じないのが当然だと思います。
進み続けるためには自分にとっても決定的な直接証拠が一つ以上必要になります。この愛という手垢まみれの古臭くて気恥ずかしい言葉の背後に真の実在が隠れていることをまず発見します)


Oshoトランスフォーメーション・タロットの中の「受け容れること」に書いてあるお話です。 生をあるがままに受け容れることです。どんな理由ももたずに、楽しみましょう。


偉大な禅のマスター、白隠が住んでいた村で、ある娘が妊娠した。彼女の父親は、彼女をおどしつけて、恋人の名前を知ろうとした。そしてついに、彼女は罰を逃れようとして、それは白隠だと告げた。父親はそれ以上なにも言わなかった。だが時が満ちて、子どもが生まれると、彼はすぐに白隠のところに連れて行って、子どもを放り出した。「これはお前の子どものようだが」と彼は言い、ことの不名誉に対してあらゆる侮辱とあざけりをまくしたてた。禅マスターは、ただひとこと、「おお、そうなのか?」とだけ行って、その子を腕に抱いた。それからというもの、彼はその子どもをぼろぼろになった長衣のたもとにくるんで、どこへでも連れて行った。雨の降る日も、嵐の夜も、彼は近所の家々にミルクを貰いに出かけたものだ。弟子の多くは、彼は堕落したと思い、反発して去って行った。が、白隠はひとことも言わなかった。一方、母親は、自分の子どもから離れている苦しみに耐えられなくなっていた。彼女はほんとうの父親の名前を明かした。彼女の父親は白隠のもとに駆けつけて、ひれ伏し、何度も何度も許しを乞うた。白隠は、「おお、そうなのか?」とだけ言って、彼に子どもを返した。これが受け容れることだ。これが"タタータ"だ。生がもたらすものはなんでもオーケーだ。完全にオーケーだ。これが鏡のような質だ――なにも良くはなく、なにも悪くはない。すべてが神聖だ。生をあるがままに受け容れるがいい。それを受け容れることで欲望が消える。緊張が消える。不満が消える。それをあるがままに受け容れることで、人はとても楽しく感じ始める。まったくなんの理由もないのに――。喜びに理由があると、それは長くはつづがない。喜びになんの理由もなければ、それは永遠にそこにある。


[Fiora]
フィオラ:22年前にnobodyが花屋さんで購入した花束。この花束と共に交通事故に遭って以降、青い帽子とドレスを着たイタリア人女性の霊として登場。イタリア語の真性異言を起こしたことからnobodyが実在を信じるようになり、対話を続けています。


フィオラ、あなたが誰かはもうどうでもいい。
あなたに会えて嬉しい。来てくれてありがとう。
Fiora


今日もありがとうございました。
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