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(試合終了したら悪いと言っているのは誰か気づいてる?それが核心です)
行為者がいるという分離遮断を差し挟むことなく見ていること


行為者がいる、という断定はレーザービームです。この断定が分離であり、境界線を創る行為です。


分離した者の目から見て、初めて世界が顕れます。
世界には行為者が移動するための空間と、時間が生まれます。


これらは概念でありながら、実体感覚を伴います。
それが物理次元に生まれることであり、人として生き、死ぬことです。


レーザービームを放っているのは私なのに、実体感覚の方が先にあるように感じています。


時間が存在する、空間が存在するという「感覚がある」なら、行為者のレーザービーム放出中であるということです。


「気づこう」とする必要ってあるでしょうか。


気づきはもう「ある」のであって、対象として掴む必要などまったくありません。
掴まなくても「ある」
手放す云々の前に「ある」


行為者がいようといなかろうと「ある」んです。


行為者がいるというレーザービームは「ある」を覆う雲にすぎません。


思考する前にある空、この一なるもの、あるがままから「分離できたつもりになっている」のは誰でしょうか。


分離できてはいません。分離できたつもりになっている者がいるだけです。


その者もいません。その者がいるつもりになっているだけです。


これらの演技は、自作自演、自己暗示、錯覚です。
その束縛の苦しみから逃れようと、
いるつもりになっている者が、いるつもりになっている者から逃げたいと身をよじっています。


苦しみは本物ですが、苦しみの創造原因は「見なし間違い」により起こっています。



不言実行と有言実行、言葉の有無ではなく実行しているという感覚が付きまとっていることが問題


実行しているというのは、実行している「私」をいまこの瞬間に「感じている」ということです。


「私」ってどんな感覚でしょう?
これが「実行している感覚」なんです。


私が、わざわざ、なんか「している」
雪かきはしんどいなあ、と思いながら雪かきをするのは「私」を感じているから起こっている反応です。


被害者とか加害者というのもそうです。被害を受ける「私」、害を与えてしまった「私」を感じているから生まれている感覚です。



メイのバカ!
もう知らない!


と言っているとき、「私」の感覚はどうなっているでしょう?


これは子供の喧嘩の台詞ではありません。
○○のバカ!
もう知らない!


は大人でもよく言っています。
なぜこれを言うのか。動機があるからです。


実行している感覚があるということは「私」がいるんです。



あなたは可能性の中心、枝葉末節を恐れることはない


何か大事なものを「手に入れていない」とか、「失われてしまった」とか、
それはただの考えにすぎません。


実際は、あなたは欠けた皿ではありません。
皿の欠けている部分にまで完璧に気づいている「完璧さ」そのものです。


「欠けている」という思考、想念、観念、概念、そういうものは
不完全性を見てやろう、今不完全を見る!というビームです。


あなたが完璧にいなければ、不完全を見ることができるわけがありません。


映像は不完全でも、支える基盤は完全なんです。


「基盤側に無意識」のまま、不完全を嘆くから恐れるんです。


そこに恐れの感覚があってならないとは「私以外」実は誰も言ってないんです。


不完全から逃れようとせずに、ともにあります。
不完全な映像と完全な基盤。


不完全な映像に和紙が張り付くように同一化している「私」


完全な基盤は最初から完全な基盤です。


貼り付けた和紙だけを見ているから形状に文句が出てきます。


いま、文句があれば最高です。
視線の先にあるものを解き明かせるからです。


それが単なる対象なら、張り付いた和紙の「私」が文句を言っています。
ではちょうど同じいまこの瞬間、基盤の「わたし」は文句を言っているでしょうか。


いいえ。
文句を見ています。文句に気づいています。


見ている沈黙、気づいている静寂、わたしたちはこれ以外ではなかったのではないでしょうか。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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