黒い色は境界線です。


黒=境界線
これは概念ではないのでしょうか。概念です。


赤を境界線に設定してもいいし、白でもいいです。
何色でもいいです。


でも、一度この黒=境界線を定めて


慣れてしまうと


黒を見ただけで「分離」を感じるようになるんです。


この黒が、「私」という個人が活動しているという概念なんですね。


私たちが描く絵というのは、個人から見た世界なんです。
これは世界を描いているのではなくて、
突き詰めれば「個人だけ」を描いています。


世界Aに影響された個人Aというのは
主役はあくまで個人Aなんです。


世界Aとは、個人Aを浮きぼるための背景にすぎません。


個人Aが自分のことを被害者だと考えているなら、それにぴったり合う世界Aが背景として誕生するということです。


その世界Aは個人Aの頭の中にしか存在していません。


世界を描いたのではなく、個人を定義するために世界という関係性を創造しています。


では、定義しているのは誰でしょうか?


それは自分を個人Aだと見なしている者です。


真我は見なしていません。
個人Aだと同一視している何かは、真我によって照らされています。


この何かを犯人と呼ぶなら、


真我、犯人、個人A


の三角関係です。


犯人はいつ捕まるのでしょうか。


いまです。


なぜなら、いまだけが、犯人が存在していないことを見抜ける瞬間だからです。
犯人が消えると、個人Aも同時に消えます。


禁煙を考える場合と一緒です。


いつから禁煙できるでしょうか?いまです。いまこの瞬間のみ禁煙できます。


逆に言いますと、明日から禁煙することはできません。
明日とは概念だからです。


概念は黒=境界線です。


単なる色なのに、概念に慣れすぎてしまって分離ばかり感じます。


これらの説明は騙しです。
説明自体が概念だからです。


でも騙しを使わないと、伝達行為はできません。


ですからこの騙しの指さしを使いながら、わたしたちは唯一存在している「これ」に目覚めます。分離がないため「これ」とでも言うしかありません。


これに対して「ノー」という犯人がいて、
犯人がどこの誰なのか自分で調査し、見極めるまで、


指さしには一定の価値があります。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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