この瞬間そのものと、この瞬間とその中を自由に動き回れる行為者の私は全然違います。


1、不二
2、二


ですからまったく違いますね。

対象を見つけた時点で嘘なんだということです。


「覚知(かくち)」という言葉をニサルガダッタが説明していたことがありましたが、在ることで知ることしかできないものがあるんです。


対象としては知ることはできません。
覚知しかない。


対象を探さない知り方、観察者なしの知り方です。


内側と外側をパッと無くす知り方です。
「私」が観念の内側と外側をすぐに差し挟んで分離遮断するのが癖になっているからなんですね。



わたしたちの計画は、意識の中で心理的反応を実地体験してから(自分で)置いている計画です。ですから自分が何を最も嫌がるか熟知してコースを設定しています。


これは嫌だ!って思うことありませんか。


出来事ではなくて出来事に対する心理的反応です。大まかに二通りです。
胸にぬくもりを感じるか、不安を感じるかです。


わたしたちは出来事が起きる前に、大雑把に大きなイベントの心理的反応は知覚済みです。


自分がどう心理的反応を起こすか「知った上で運命のコースを自分で設定している」んです。
この場合の自分は、魂、霊魂の自分です。
霊魂の自分を語るのは、肉体の自分を語るのと同様の危うさを秘めますが(行為者の自分はいないからといって、肉体の概念はあり、霊魂の概念はあります)今回書きたいのは心理的反応は事前に知覚されているということです。


生前のあの世で計画するっていうシステムは不思議ですよね。


この世での人生というのは、青写真をあの世で描いてからの「生き直し」なんです。


超嫌なことが連続して起きるとします。
出来事を無意味に意図したわけではないんです。


「超嫌がること」を知っているから高位のあなたが人間のあなたに起こしたんです。



出川さんのリアクションを事前にVTRで確かめた上で、最もおもしろい(高位のあなたにとって)リアクションになるコースを選んでいるんです。


心理的リアクションが知られているというのは、あらゆる事柄の心理的リアクションすら計画している高位の本人の願いを見越し、協働する姿勢の始まりです。



条件指向と無条件指向(略して「無」)


条件を指向することと、無いこと。
条件か、無か。


いまここの体験「これ」に戻るには無に戻るしかないんです。
同時に同様の文脈で、戻る必要はありません。「何も」必要ありません。
わたしたちは最初から「これ」以外ではないからです。
いま「これ」です。


これという指定もなくなります。
指す人も指される対象も存在しないからです。
「これしかない」とはそういう意味でも徹底的な「存在」です。


ですから「私」と認識しているときはこの「これ」に戻れないんです。
離れてはいませんが、現実を色眼鏡で見ています。


禁煙のことを書きました。
禁煙できる瞬間とは「今この瞬間」だけです。


他の瞬間とは概念にすぎず、実際に存在しているのは常に「今この瞬間」だけですから、
禁煙できるのは同じ唯一のこの瞬間だけです。


「今この瞬間」が「これ」です。


しかも時間軸や空間軸と関わりがありません。
時間と空間というのは単なる概念です。


「これ」とは非-時間であり非-空間です。
ですから時間のすべてに遍在し、空間のすべてに遍在し、その外に遍在しています。
言い換えれば「これ」の中に時間や空間の概念が生まれているだけなんです。


人は有限ですが、「これ」であるあなたは無限なんです。


あなたやわたしという概念も同じく無に還ります。


非-あなたであり非-わたしが「これ」です。


「屁理屈」に聞こえるかもしれませんが、違うんです。
こちらが「実在」であり、今までの認識のほうが「夢の中での夢に対する解釈」のような流動するものなんです。


動くものは偽物。静止し続けているものが本物です。


何が静止し続けているか見つけられますか?


多くの方が、静止し続けているものなんてない。どこにもない。
と感じると思います。


言葉、概念で指すなら、
存在、意識、至福、無、愛、超越、侵食、光と闇を照らす光、気づき、無限それらが静止です。


その静止とは、いまのわたしたち、しかもありのままのわたしたちのことなんです。



この世で一番簡単な理屈です。
いまあるものを「ないものとして否定可能」でしょうか?
不可能です。
いまあるものは「ある」んです。


この世で、全世界で、どこであろうと最も確かなことは
「いまあるものがいまここにある」ということです。


でも、この確実な事実に抵抗する精神活動があります。
事実を否定することはできないため、事実から「目を逸らそうとする」活動です。


それが分離した一人の行為者として行為していると思い込むという精神活動です。
そうすると色々否定できるような気がしませんか。






なんか一気に冷え込みましたねー。寒いよ寒いよー。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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