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2012年12月21日 終末の日より700日目


内側と外側をパッと無くし、私がいないことだけを痛感する その4


悟りってなんだと思います?
いま、だと。
不二、だと。


それって結構意外な感覚だと思うんです。


持つ必要がない、という感覚ではないでしょうか。


持つ必要がない、とは「いま」「わたしたちのこれ」が、悟りだということです。


はあああああああああ!!!!!????????


とノーマンは言いますよね。


ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジの巨匠二人の意見を権威づけに統合するなら、既に真我が実現されていることを知らないのが無知であって、この無知の消滅、それ以上でも以下でもありません、と言っています。


短くするとですね、真我実現とは「これ」です。
「ここ」です。


はあああああああああ!!!!!????????


とノーマンは言いますよね。


心配しないでくださいね。光り輝く神はありますし、この旅の果てに失望は一切ありません。
でもですね、旅人の予想とはゴールはちょっと違う方向なんですよね。


旅の全瞬間において、「これ」が光なんです。


記念写真とか撮るじゃないですか。その間にふざけてタイミングがズレてパシャっって変な写真が撮れました。こういうのは思い出の写真、思い出の瞬間になりますよね。


「これ」そのものが余すところなく光なんです。


旅の途中足が痛くて、頬はぶーっと膨れて、八つ当たりもたくさんしたかもしれない。
それでも、この「頬ぶーっ」が光なんです。


三蔵法師が大乗仏教の法(ダルマ)を求めて旅をしていたとき、疲れて彼が頬ぶーっとさせてたら、この頬ぶーっがダルマだってわからなければ悟りは啓いていません。


巻物でも書物でもないんです。
悟りの「中に旅があった」んです。


悟りの「中で夢を見ていた」んです。
大冒険の旅をする夢でした。


鍵がポケットの中にあったと気づくのは悟りではありません。
悟りは、自分が最初から部屋の中にいたから鍵が必要なかったと気づくことにあります。


100%愛で、100%歓喜で、100%自由で、
兄弟姉妹の本当の姿、光の姿を思い出したら悟りです。
兄弟姉妹がほんの少しでも悪く見えるなら悟りじゃないです。



光の存在たちが天国で踊りまくっていることを思い出して、この大いなる愛の光のためにはどのような苦労も厭わないと誓ったことを思い出したら、悟りです。


ですから、悟りとはこれです。
悟り=これ、です。


うん?
では求める必要は?


ありません。
でもこれそのものが悟りだと思い出すまでは求める必要なくても求めちゃいますよね。


つまりわたしたちというのは、一人一人個別の悟りをいま描いているんです。


悟りというのは新概念を創り出すことなんです。


神(愛)と人との関係性を今日新たに創り出すことなんです。


明日につづきます。






フィオラが以前ぼそぼそ言ってた
荷物(二つ以上に見える視界)を運ばなきゃいけないと思い込むのやめましょ。


を今夜は取り上げてみました。
話の筋が少しずれたかもしれませんが、また明日続けます。
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