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橋をかけよう
橋をかけよう
橋をかけよう


第一の扉は愛。
第二にあなたにしかかけることのできない橋をかけるのです。


兄弟姉妹とともに橋をかけるのです。
神の国は愛の橋に満ちていきます。



内側と外側をパッと無くし、私がいないことだけを痛感する その9


ひらく 「私は貝になりたい人とアンネ・フランクの違い」


映画のネタばれをちょっとさせていただくんですが、「私は貝になりたい」の最後は主人公は処刑されるんですね。


そしてそのとき、あまりの恐怖、理不尽さに
人間として生まれてきたことを後悔します。


次に生まれかわるときは貝になりたい、と思いながら死んでいきます。


同じ境遇のアンネ・フランクはなんと言ったかというと
In spite of everything, I still believe that human beings are really good at heart.


彼女には人間の善性を疑うことがどうしてもできませんでした。
事実から逃避してそうなったわけではなく、現実をありのままに見据えた上で、彼女に人間の善性を疑わせることは最後までできなかったんです。


地獄は、彼女の魂を傷つけることはできませんでした。


この違いは、閉じようとする貝と、ひらくことの果てに辿りつく無限なる愛の違いです。


このシリーズで書きたいことは結局、
いまこの瞬間、
ひらく、とは何なのかということです。


これは偽善などとは次元の違う話です。
彼女たちは明らかに、残虐な地獄の中に放り込まれていました。
正確には、そうとしか見えない状況でした。


でも「ひらき=見ること」そのもののようなアンネ・フランクには、そこは地獄としての体験ではなかったんです。


環境や条件に対して、完全にひらくという選択が存在すること、
それは「まったく閉じようとしていない」ということでもあることに注目していただきたいんです。


私とはなんでしょうか。
それは「閉じて保管できるものがある」という観念のことです。


事実は、閉じようとすることによってエネルギーは破裂するんです。
肉体は収縮します。


みんな!オラに元気を分けてくれ!
と叫ぶ前提は、元気を分けてもらう「オラ」が存在するという想念です。


そのオラ想念は今この瞬間の浮遊物ですよね。
それは、止まってますか?それとも流れて去っていこうとしてますか?


去っていこうとしています。
オラがオラ想念によってのみ維持されている観念であるなら、オラというのは厳密には
「普段は維持できていない感覚」なんです。


それはつまり、オラは「一回一回想念が呼び出され、構成されている擬似感覚」だということです。


明日につづきます。



ご自身が自閉症の作家、東田直樹さんについてのドキュメント番組を見ました。


絵の具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。
目で見ている色になりきってしまうのです……


Q、いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?
「今日は何曜日?」「明日は学校ありませんか?」
同じことを何度も聞いてしまいます。
今言われたことも、ずっと前に聞いたことも、
僕の頭の中の記憶としてはそんなに変わりません。
よくわかりませんが、みんなの記憶は、たぶん線のように続いています。
けれども、僕の記憶は点の集まりで
僕はいつもその点を拾い集めながら記憶をたどっているのです。


重度の自閉症患者の心の内を翻訳するかのような東田さんの姿に心を打たれました。
東田さんにしか架けられない橋が世界中に理解の輪を広げていることに未来のビジョンを感じました。


わたしたちはみんな自分にしか架けられない橋がどこかにあるのかもしれません。
そのどこかは、ここです。



ポンペ病の新薬開発に関する奇跡を知りました。詳しくはぜひ映画をご覧になってください。
子供の命を守るために、決して諦めなかった父親の姿にちょっとだいぶ泣きました。


彼は子供を守っただけではなく、世界中に何か大事なものを届けてくれたと感じました。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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