私形成前(わたしけいせいまえ)という停留所から動かないこと!


とフィオラの伝言を忘れていました。
今日は以上です。また明日。



内側と外側をパッと無くし、私がいないことだけを痛感する その6


いつ妨害をやめるんだと言うと、いまこの瞬間しかないんです。
ノーマン(何でもノーと言う錯覚)は厳密ないまこの瞬間には存在できないという大きな弱点があるからなんです。


この続きから書いていきます。


ですので、二項対立じゃないんですよね。
結局一つの流れなんです。


妨害のやむ場所、向かい風がぴったりとまる場所、台風の目、
それらは耳にタコの「今この瞬間」です。


これは時間軸の今この瞬間ではなくて、
時間の過去から未来まで、すべての時間が現れては消える「非-時間」です。もちろん「非-空間」でもあります。


永遠のここ。


頭の中の声、想念は一種の投影行動の結果です。
物理法則なんです。


時間軸を移動する何者かが存在する!という投影。


単純な受信状態をデフォルト視点とするなら、このデフォルト視点は微細すぎて行為していると思い込む度に覆い隠されてしまいます。



まさにルビンの壷です。


誰もいない。誰も、どこにも、向かってない。


このある種当然すぎる「起こる地平」を、意味づけて、価値づけて、どこかに向かわせたのは私ではないのかということです。私がそもそも作られたキャラでした。


しかも今この瞬間にそれを味付けています。


送信と受信どちらも完璧に自由になるように調和されています。
起こしてよい、起こされてよい、それらは統合されていてよいです。


完璧な調和、完璧な能動と受動です。


受信状態じゃないということですね。
受信も送信も完璧に調和する場所こそデフォルト視点です。


虚空にすべての可能性が潜在しているように。


そこから煌のように何を見て、何を引き出すかすべては自由です。


あー、と今声に出すと、その音声は沈黙に消えていきます。
それとまったく同じように、創造されたものは空に消えていきます。


自我は、創造されたため「消えたがって」いるんです。
源の場所に帰りたがっているんです。


明日につづきます。



ここから先に進んではいけないという皇の指示をより鋭敏に感じ取る。


胸の皇がダメですということはダメです。良心というんですか、教えていただいたことがあるんですが、コーヒーか紅茶にするかすら胸の指示に従うことが可能です。


人と関わりあうときの言動はもちろん、わたしたちは自由にやりたいことをやればいいですが、胸の指示が聞こえたらパッと止まる。最重要だからです。


その声が聞こえない、鈍くて聞こえなかったというのが危険さの第一段階。
聞いたけど、無視して強行した、良心を無視したというのが第二段階です。


ナビゲートは常にされているんですね。


そんなものは大したものじゃないという観念を押しつけると危険です。宇宙を運行している囁きを舐めるのではなく、より微細な声まで拾っていくほうがいいと思います。


デカルトの二元論の頃から、観念で分析してモノを見る色眼鏡を確立してきたわたしたちは、自然に備わった力を原始的なものとして退けました。


なんでもそうですけど、本当に理解している人の方が「言わない」んですよね。
水や空気は主張しないです。そこを誤解して、変な観念を押しつけてきてしまったのかもしれません。



大リーグボール養成ギプス


この世が、大リーグボール養成ギプスのようなものです。
筋力を鍛えるわけではなくて、愛(神)をみる力を鍛えています。
地球の場合は北極と南極、男と女、「二極性という環境下で愛をみる力」を鍛えています。


課題は「愛にみえないことのすべて」です。
すべてが愛にみえたら卒業です。すべてに善をみることではありません。
愛をみることです。


人生に起きることの意味を理解したいのなら、自分で意味づけすることをやめてください。状況をそのままにしておいてください。十全にそれを感じます。それがなぜ人生に起きたか、そのできごと自身に教えてもらってください。 そのことの中心に達したいのでしたら、


「この状況をどう生かせば、自分をもっと完全に愛することにつながるだろう。わたしはまだどんなものを内にためこんで、与えないようにしているのだろう」


とたずねてみます。この問いかけで、あなたは問題の核心に入れます。


この核心こそ、この世に生まれた意味です。
それは気づきの拡大、霊的な成長です。


この世の拝金主義はある意味とても素直な視点ですよね。
目に見えるものだけを信じるということですから。


これがあの世ではお金以外のものが「目に見える」ようになります。
霊性です。


霊性とは、愛単色です。


愛のために生まれ、愛のために生きています。


今日という与えられた機会は、そのためです。


大リーグボール養成ギプスは苦しかったり痛かったりするため、憎まれ、貶されますが、
かけがえのない機会を与えてくれています。


ギプスの形状こそ、人間として与えられた条件そのものです。
肉体と欲求、痛みと飢え、傷つきやすさ。


それでもこの人生に、何をみるかは自分で選んでいます。
自我の力とは、愛を邪魔する力です。


愛にゆだねることを邪魔するか自我が選べるんです。


私、と、愛、しかないんですね。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody