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「掴めること」と「手放せること」どちらにより確実性があるか確かめていく。


天秤はつねに「手放せること」を指しています。
言い換えると、自由であり、あらゆる可能性は邪魔されないということです。


私=自由「じゃない!」


なんですよね。この「じゃない!」をどうするのか、
掴むのか、手放すのか瞬間瞬間に問われています。


私から派生した、既に私が掴んできてしまった想念がたくさんあり、
一つずつ手放してフッと楽になります。


誰が掴めって言ったんでしょうか?
私以外に掴めって言った別人物がいるでしょうか?
私しか、いません。残念ながら。
犯人となるのは、どうやら私だけのようです。


そしてその「私」というのは、
神という根源
「存在、意識、至福」からの分離を信じる最初の想念です。


この最初の想念が「孤独感」に耐え切れずに張り巡らせる戦略こそ、
人間ドラマです。


なんで覚醒が第一義なのかと言えば、
それ(覚醒)がデフォルトだから、ということだと思います。


そしてこのデフォルト(神)との1対1の関わりの中で
描く光の網の美しさを、
わたしたちは信じていいんです。


天の意思を信じていいんです。
心臓の鼓動や、肌の震えがリアルであるように、
高い意思とその愛もまたリアルです。






内側と外側の話は続けるんですが、まとめるまでいまちょっとお休み中です。
「デフォルトに気づくための方法論」って微妙ですよね。
デフォルト=方法論は(本来は)不要、です。
ただ喫煙のように、長年染み付いた「私」習慣は強力なのは間違いないです。


いまこの瞬間の禁煙を続ければいい、以上。という言い方はアリなんですよね。
機能します。


掴んでいる想念や溜め込んでしまった感情、不要な自己イメージ、これらの無意識下に放置されているものを気づきの力で意識化していき、
常に「ともにある」ゼロを選びます。逃げない。
そうするとすべては手放されていきます。


その過程で葛藤や苦しい感情、微妙なこだわり、新たに出てくるんですが、
それもすべて「ともにある」ゼロを選びます。逃げない。


結局、どんなものも自分が決めているということです。
その中心にいるのが「掴む私」だからです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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