感覚で知るもの


理屈で知るものは伝達には便利です。概念は伝えやすいです。
でも感覚で知るものは、感覚で知るしかありません。


感覚で知るというのは、いまこの瞬間、どんな感覚を感じているかということです。


もしそれが、概念で知るような「理想とする感覚」とは違う場合、
いま「ありのままのこの感覚」とギャップが生まれます。


たとえば理想とする感覚が「愛」で、
いま「愛のない感じ」が胸に広がっているとします。


この「愛のない感じ」が感覚です。これがリアルな感覚です。
理想は感覚ではなくて単なる想念です。
話はこのリアルな感覚から逃げようとするのか、変えようとするのか、逃げないのかという態度の違いです。


逃げようとすると追ってきます。
変えようとすると強化されます。


ありのままのこの感覚を感じるというのは、イエスです。
そこにノーはありません。理想もなければ、期待も目的もありません。
ただこれです。


感覚で知るものとは、ふつうの極みです。
でもふつうに押し付けた想念からの解放でもあります。



無想


もし悟りに共通する原因を一言で言えと言われたら「無想」と答えます。
たぶんみんなそうだと思います。


今この瞬間がコレそのものであることは説明して数分で通じるはずです。
1秒後の瞬間は存在しない。
1秒前の瞬間は存在しない。
なぜなら今この瞬間に異なる名前のシールを貼った「つもり」になっているだけだから。


わたしたちが体験し、行動できる瞬間というのは実際つねに一つしかないわけです。


これはすごく禁煙に似ています。
想念をタバコの煙のようなものとするなら、禁煙はいつ可能でしょうか。
今この瞬間だけです。


2秒後の瞬間に禁煙して、5分後に禁煙して、17時間後に禁煙してという地図は無意味です。


いま、禁煙するかどうかですからシンプルです。


想念を追っている状態というのはワイパーを無意識に追っている状態です。
無想が道路に集中している状態です。


いま、無想かどうかです。やっぱりシンプルですよね。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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