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波打ち際で足のくるぶしまで水に浸かりばしゃばしゃ走る


それが行為者の感覚に似ています。
海には浸かっています。でも深海に沈むことはありません。
「何か」が足を押し返しているからです。


この「何か」を注意深く見つめるならば
私は肉体である、私はこの肉体を基とする個体であるという「感覚」です。
それは想念に基づく感覚であり、
この想念は肉体感覚を第一、それ以外の感覚は肉体感覚に従属するものと判断します。


想念、個体感覚、分離感
これらはいつも相互に影響しあいながら循環しています。


肉体が感覚を取りまとめているというのは一つの考えにすぎませんが、
1日に浮かぶ数万の想念の核になります。
4万の想念がやって来る場合、4万回この核の想念に触れています。
この核の想念が、浅瀬で足の裏を押し返す陸地です。


行為者の舞台は、この核の想念です。


肉体が気づきの源だとするなら、源は対象化できます。
実際には肉体が源である証拠は「どこにもない」ため、それはいつまでも思い込みの領域を出ません。


確かなのは、「いま」という「気づかれている感覚」が存在していること、
「存在が在る」ことです。


浅瀬で足を押し返すのは、想念です。
確実な現実は想念とは無関係で、「在る」ことです。


海に沈むのは足を押し返す足場がない場合です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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