
2015年3月6日 03時05分
最小の満月から9月28日スーパームーンまでの過程で
安倍晋三氏を大嫌いになりました。
敵役は必要だというけれど、もしこの勝負に負ければ日本人は深刻な方向、
子供たちや若者を最初に犠牲にする地獄のような大戦時に逆戻りしてしまいそうで恐ろしいです。暴力以外の方法で何としてでも止めなくてはと感じています。
より深度をもって愛するために、「敵」として出現してくれる兄弟姉妹が時には必要なのだ
憎憎しい相手役が(時には、そして人によっては)必要なんです。
彼または彼女の手により、憎しみに火をつける役が必要です。
愛されることを求め続けるわけにはいきません。
人生はアタイが「愛しているか」の問題のみです。
愛している
感謝している
これがあるかどうか、それが人の「成功」です。
これは理屈ではありません。
理屈を食べることはできません。
味わうためには、いまじぶんがそれそのものとして「在る」かどうか。
愛しているのか、
感謝しているのか、
挑戦を突きつけられています。
自分の恐れすら、愛せるのか、愛しているのか、
この今日に感謝しているのか、
それだけです。

わざと記憶を消したのか、それとも
生前の記憶を失うっておかしいと感じました。
例えばご都合主義でAさんの記憶は消し、Bさんの記憶は残そうという選別が行われているのでしょうか。
そうではなく、録音を繰り返したテープの微小な音声のように、
記憶は失われていないけれど、周波数の違いによって
「再生音が小さすぎて認識できない」のではないでしょうか。
魂の記憶、霊魂の記憶というのは、パノラマ現象のようにまさにそういうものだと思います。
魂の低音が底流として流れていて
人生で起こる出来事は、「全部わざと」なんです。
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