私+外界=悪循環
外界というのは想念・思考が含まれます。突き詰めると外界とは想念のみです。
私が、想念に反応する場合のみ悪循環が始まります。
この「私」がなければ外界への反応はありません。
「私」そのものが想念・思考のボスです。
ですから「私」を「現すな」
いまこの瞬間現すな、そしてずっと「現すな」
という話になります。
自由とは、対象物に飛びつこうとする思考過程からの(今この瞬間の)自由です。
そのとき、「私の不在」を常に見ている(覚知している)デフォルト視点を思い出します。
1秒もかからずに切り替わる(思い出せる)ので、全然難しいことではありません。
「私」を「現す前段階でとどまっている自覚」があれば大丈夫です。
思考過程から遊離するのに慣れていないだけです。
これは自我をひっこめて魂を目覚めさせる最初の段階です。
魂なんてほんとにあるの?と自我は疑うだけですから、私を現さない自覚に集中するだけです。
自我とは球体(魂)の表面の一部にすぎません。
私は分離・独立しているという、海を自覚していない波のようなものです。
私+外界の悪循環がいま、愛循環に切り替わろうとしているようです。
その一つの証拠が、イスラム国などに代表される問題児が「残虐」になってきたことです。
それは愛ではないと一見思えますが、
悪が意識の表層に登ることは「悪を乗り越えよう」としている愛の動きではないでしょうか。
愛の波が世界を揺さぶっているようです。
(愛は善悪の二極性ではなく、二極性を超越するものです)
揺さぶっているパワー(他人に害を与えず自分を最大限に活かす行動として現れるエネルギー)は、実在です。
いまたとえばイスラム国を地上戦で全員「死刑」として処理するとします。
彼らが引き起こした問題は人類から消えるでしょうか?
いいえ。消えません。
恨み、怒り、負のエネルギーは消えません。
これらは後世にそのままエネルギーとして残留してしまい、いつまでも子孫を苦しめる因果になります。
(中国や韓国にいつまでも嫌悪と恨みを向けられている現代日本人はよくわかるはずです)
ですから今この時代、わたしたちはもう旧来のやり方で進み続けるわけにはいかないんです。
悪循環→愛循環へ
それは国際政治など大掛かりな話でもありません。
個人の、個人にできる範囲での、意識の変革です。
私たちは
「私」の反応をやめられるでしょうか?
食欲、性欲、物欲、お金教
欲は悪くありません。良くもありません。
欲は欲です。
見過ごしているのは、欲だけが無目的に(分離・孤立した存在として)存在しているのではなく、
この世を支配しているのはサムシング・グレート(なんだか知らんが凄そうな何か)だということです。
サムシング・グレートを身近な解釈にすると
「自分の人生を信じること」が大きな意味を持つということです。
どんな家庭に生まれたかや、幼少から成長過程を通しての葛藤など、
すべてが偉大な何かに計算されたものなら、
この「神の計算」は「人の計算」のすべてに優先し、それらを打ち破ります。
欲をビジネスにしようと産業界が頑張るとき、
組織でも個人でも
「神の計算」を視野に入れるものと「人の計算」のみの者では
主に幸福に大きな差が出ると思います。
あなたは自分の人生を信じているか、
あなたは目の前の他人の人生を信じているか、
つまり自分と他人の背後に存在する神を信じているか、
これらが実際の「感覚」に影響するんです。
この実際の感覚は「現実」です。
感覚は人間関係にも仕事力にも影響します。
私が最初に青いイタリア人に言われたことはとても単純な指針でした。
・神を信じてね♪
・素直にね♪
それだけです。
方針としては自分を愛することオンリーでした。
それ以外のことは一切気にするなと言われました。
自分を愛せない者のみが、他人を傷つけるためにわざわざ行動するのだと。
自分の人生の流れを、信じることができるか自分に問うんです。
そして、この人生の流れの中で迎えた今日一日を信じることができるか自分に問うんです。
もし答えが「信じる」なら、
今日見つけるものは神の計算を視野に入れることになり、
サムシング・グレートの祝福を受けることになります。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody