0秒 17日目

こんばんは。今夜のテーマは「かたち」です。


かたちのないものがどこにあるのか、私たちは探し求めているのに、
それが常に「目の前」にあることに気づきません。


目の前に、ないからです。
目の前に、あるのに、ないんです。
矛盾と超越は意味が異なります。
言葉は矛盾しますが、超越の先に実体があります。


犯人は明確で「記憶パターンから確信された現実という名の世界観を無意識に今この瞬間に上書きしているから」です。無意識に「わかっているつもり」で見てしまうんです。
言葉で表現するのは簡単なんですが、取り除くことは容易ではありません。


無意識の「わかっているつもり光線」が最大の邪魔になります。


光の明度が上がるのは「光」が満ちていることに気づくからです。
常に「満ちている」のに、気づかなかっただけです。


それは「いまここ」として知覚されるものの中にあり、
知覚されるものの「全体」にあります。


空間です。


空間が透明な光の海そのものです。
空間は光の海です。

私たちはかたちにとらわれすぎて、大海の中にいることを忘れています。
水はどこか?
この時水を知るのが目的なら、「何が水でないのか」を知る必要が生まれます。
もし全部水だったらどうしますか?
水でないものがなければ、自分も含めて全部水だったらどうやって水を知るんでしょうか?


この時、○○を感じるという表現にはなりません。
ただ感じるという表現になります。
ただ体験する。


素粒子より細かく、どんな最少の物質より小さく、
それどころか物質ではないところに、光があります。


オフラインとは「わかっているつもり」の時間のことであり、
かたちをもつ思考形態の時間です。


オンラインとは「わからない」時間のことです。
かたちをもたない、比較対象のない、わけのわからない今にいることです。


今、どこに光があるかわかりますか?
どう答えてももちろん自由です。


でも今まではわかっている、と大体常に答えていたことには気づけます。
思考形態で答えること自体が、内容無関係で「わかっている」と答えることになります。


では、わからないと答えてみると何が起きるんでしょうか。
正直に何もわからない場合。


世界は終わりません。


光がどこにあるかわからないことを認めても世界は「在る」のは間違いないようです。


わからないまま生きてみると、わからないまま結構生きていけることに気づきます。


そこにS状態とそれ以外というカテゴリーはあるでしょうか?
ありません。
比較分析をする思考形態がないからです。
かたちがないからです。


ではS以外と分類される「通常意識状態」ではどうでしょうか?


比較分析をする「かたち」と「分離」に溢れています。
そこでは「自分」と「他人」の分離はもちろん、
「自分」と「神」の分離
「今の自分」と「未来の自分」の分離
「かたち」の数だけ分離があります。

かたちとはどこにあるんでしょうか?
脳内にあるんです。


思考とはかたちです。


時間とはかたちです。


かたちのないものはいつも目の前にあります。


かたちのないものがみつからないのは


かたちをみつけるからです。


今日もありがとうございました。


追記。間違いに気づきました。0秒はマスターキーの描写になってないですね。
1秒後と0秒を分けると分離で「かたち」です。
マスターキーは本来言葉で描写できないものですが、「永遠の今」は時間軸の「すべて」を含んでいて、あえて描写しようとするなら「ひとつ」なんですね。
でも「ひとつ」を描写しようとすると「沈黙」または「静寂」になってしまい、
一体何のことだかさっぱりわからないというニーズに応えて「描写というかたち」が生まれます。
「ひとつ」か「いっぱい」か。
そう言えば私は大体常に「いっぱい」を選んでいたことを今更ながらに思い出しました。
かたちと分離といっぱいに囲まれて、コントロールしようと生きてきました。
分離が真実なら、本質的な意味でコントロールは可能です。
ひとつが真実なら、本質的な意味でコントロールは不可能です。
どんな変容の発生も「ひとつ」の「中」だからです。
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