唯一不二(ゆいいつふじ)。
『不二』とは○○を体験することではなく、主体なく客体なく『ただ体験している』となります。


真実の世界の形態には「球体または円形」が多いのですが、不二を感得済みの者は形状と概念を超越するという言葉の意味がわかります。


カタチがなく、名前をつけられないのは何故か?ここに言葉での描写が追いつくのならば聖典で事は足ります。


なぜ『永遠』や『無限』と断定できるのか?本当に『不滅』だと断定する根拠は何なのか?
これも体験でしか感知できない真実です。
できることは「指差し」どまりです。


これが論理を伝達し、事象を再現できる科学との本質的相違点です。


この「夢」の世界が「夢」であることに「夢」を見ながらにして途中で気づく人間は今増えていますが、彼らはこれが「夢」であることを論理的に実証することができません。


クオリアの伝達は「体験」をさせるしか手段がありません。ところが、「体験できる方向に導く、指を指す」ことはできても、「体験をさせる」ことはコントロール不可能です。


では「体験」できないのか?全員、一人の例外もなく「体験」できます。
みんなが『光』だからです。
『光』のフリをしている「人」ではなく、「人」のフリをしている『光』だからです。


正確に言うと、すべての人は今何をしていようと既に『悟り』そのものです。今「体験」中です。
『覚醒』は完了しています。全員です。赤ん坊も含めて。


目を痛いほどぱっちりと見開いても、どうしても見えないのです。


今この瞬間に見えない理由は非常に単純で、「自我の膜」を通して世界を見ているからです。
我々は生まれつきどこかの誰かに「魚眼レンズ」のようなものをかけられて放し飼いにされています。
この魚眼レンズは思っているより強力で粘着質です。


どうやったら外せるのか?本質的な問題はただその一点です。
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