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どうやったら魚眼レンズを外せるのか。
マニュアルは作れませんが、私にわかるかぎりでこの状況の「指差し」を試みます。


私たちが登山中だとします。目的地は山頂です。


ややこしい山です。特にややこしいのが「山頂へたどり着く決まったルートがない」ところです。
誰かが登頂成功するたびにルート情報はもたらされるのですが、その情報は「次に登る人には効果がない」のです。
山が登山者一人一人に対してルートを変えてしまうのです。
山は一人一人にその人専用の山が用意されていて、共通の世界にいる私たちと共通の山という認識も想像にすぎません。


山のあちこちに迷子があふれ、村ができ、町ができ、流行語大賞が毎年決められるようなにぎわいです。


「もう山頂のことは忘れようよ」
誰かが言います。忘れて生活する人もかなり多いですし、それは登山者一人一人の自由です。
いつ出発しても自由。町の一員になるのも自由です。町には町の喜怒哀楽があります。


どうやったら山頂にたどりつけるのか。
誰もが質問しましたが、その答えが一人一人に異なるルートで用意されているため、本人以外には応えられません。
これは知識の伝達などではないのです。山頂にたどりつけるかどうかです。


だから歴代の登頂者達からはこう言われています。
「一歩」にあると。


距離を考えないで。手段を考えないで。
過去と未来を考えないで。
目的を考えないで。
何も考えないで。


ただ「一歩」にあることだと。


踏みしめる「一歩」に、ただその中にあるのだと。


この「一歩」は行動ではありません。どんな概念でもありません。
あなたが当たり前に見る「今」の中に『それ』が隠れ続けているということです。
忘れていても、怠けていても、何をしていても構いません。何の違いもありません。
努力してなきゃ、覚えていなきゃ、消えてしまうようなものなら「求める価値」すらありません。
今、常に、あります。絶対です。


「ルートが一人一人変化する」ことを強調することがそんなに重要でしょうか?
重要なのです。


完璧なマニュアルや完璧なグルがどこかにいるのではないでしょうか?
いません。


情報に価値はなく、覚醒者にも価値はありません。
一人一人が『道なき道』の途上にあります。どんな概念も行動も山頂に届くことはありません。


気づきに気づく。意識の焦点を意識そのものにあてる。
これは大きな道ですが、9合目へのルートです。山頂ではありません。


山頂は『不二』であり、あなたが体験してたらダメ。
何かを体験してたらダメ。
二つ以上あったらダメ。


今この瞬間


『ただ体験している』


にならない限り届きません。
それは今の私と何が違うのか?これは直接体験しない限り理解不可能です。
今、二つ以上のものが見えている。分離感の世界の住人である。それが苦しみなのです。


今この瞬間に飛びこんでくる光。音。感覚。思考。感情。気づき。
感じられる全て。気づける全て。この瞬間の全てをただ体験してください。
一部分を切り捨てず、判断せず、識別しないで。
期待も恐怖もOKです。ただ自覚してください。あらゆる動きを自覚するのです。
全ての躍動を自覚できるということは
躍動の中にも絶対的な静止があるということです。
何が通過してもわたしは静寂。


豊満(ブーマン)に任せ、


『意識の焦点をいつも瞬間に刻み続ける』のです。


『ただ体験している』まで。
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