今夜のチャネリングは変な結果になった。子供の頃ハイスクール奇面組というアニメが大好きだった。中身はおばかなギャグだけど、なんというかオープニングとエンディングに明るさを感じた。今夜のチャネリングでフィオラが言ったのは、その当時のエンディング曲「ちょっと辛(から)いあいつ」の一節を子供の頃にどう感じていたかをイメージで見せられた。


ラッシュアワーを人の流れと反対に歩けば
通りすぎてく大切なもの
きっと きっと見えるよ


私はこの一節をすごく不思議な気分で眺めていた。今聞くとすごく下手な歌なんだけど、物凄く強烈な印象が残っていて、子供の私は
大切なものを見つけるために
当然そうするよ
自由の光より大事なものはない
と思っていた。


至高体験を繰り返すたびに気づくのが、
世界は本当はめちゃくちゃ明るいということ。

自由

という言葉にも光を感じる。
暗いのは「死ぬ」と思っているからで、死なないことがわかるだけでもめちゃくちゃ明るくなる。この地上の大人がつくる文化が大抵の場合、異常に暗いだけで、その根本は、自分の力を忘れてしまったことにあるような気がする。自分は誰で、どんな力と意図をもってこの世に生まれたのか、忘れてしまう。


思い出すためにはどうするか、バーソロミューとフィオラの意見はほぼ一致している、ような気がする。


まず今の自分の「ある」を感じる。
状況とか、肉体感覚とか、何もかも。自分は今「ある」。
その上で、それがどんな姿かたちをしていようと「おっけー♪」する。心の底から。これがリラックスではないかなと思う。そして、この自分で自分に出すおっけー♪こそ一番大事で、難しいことなのではないかと思う。なぜなら、今までに大量のダメ出しをみんな受けてきているから。無意識の否定ノイズにみんなが翻弄されている。
これは連続体なので「あり方」になる。リラックスというあり方。こんな自分がなんだかんだで好き。すべてよし。
そうするとなぜか突然を感じ目に映る風景の背景そのものが輝きだすような感じが始まる。
その時もし人と一緒にいて人の光も同時に感じると、猛烈な愛と歓喜と自由が爆発する瞬間がやってくる。ネガティブ感情に思える「陰にすべておっけー♪」を出せた時それは完全な常態となる、と私はなんとなく思っている。

今日もありがとうございました。
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Fiora & nobody