頭でこうあるべきだと思った人生を生きているから疲労が蓄積するのです。肉体の内側で感じることを感じ尽くし、それを外部のせいにせず、内部の安定を保ったまま行動する。それが答えです。


 彼を知り己を知れば百戦殆うからず。「彼を知る」が要旨で「己を知る」は同義語反復にすぎないという視点もありますが、「己を知る」こそ人生の基本です。そうでなければわざわざ個人として生まれると思いますか。思考のみでつくりあげた世界観は脆弱です。


 解もひとつ、手段もひとつです。手段がひとつとは手法は無限であり、なんでもいいということです。自らひとつ未満になろうとするのが思考や特定の解釈なのです。


 くり返し特定のイメージがよぎるのなら、あなたがそのイメージを体験するのに及び腰なのです。真に感じ尽くしていれば透明になっていきます。


 意識を固定しなければならないという発想をお勧めできないのは分離の錯覚を生むからです。何かが何かより価値を持つならヒエラルキーがあることになります。ありません。すべてはひとつです。


 一瞬ごとによぎる内面の風景すら全て導きなのです。その1シーンは偶然発生したものではありません。走行中の他の車のナンバープレートが視界に映ることも配車状況そのものも偶然ではありません。一瞬たりとも導き以外ありません。偶然という判定はあなたの頭の中のノイズです。


 思い出せばいいのです。駆け巡ってほしいものが何なのか思い出し、いつもそれに安らぐことができるか確認することを最優先してください。


 自己の内部にいるとは、たとえば指圧マッサージをする時に相手の体のことは忘れ、自分の指先の感覚のみに集中することです。それ「が」正しいのではなく、それ「も」正しいのです。


 信念はやわらかくやわらかくパズルピースのように柔軟に入れ替えることです。


 夜空を見上げれば満点の星が輝いているように、地上を見渡せば満点の星が輝いているのです。


 毒蛇で毒蛇を制したつもりにならないでください。欠点の注視と指摘はどちらも毒蛇です。


今日もありがとうございました。
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Fiora & nobody