現状を愛することです。今ひそかに隠しもっている失望を永遠にもつように言っているのではありません。今あなたにあるものは、今あなたにあるものです。事実に反しているのはあなたという観念の狭さだけです。今息をしていることは自力ですか。本当にそうでしょうか。現状を愛することです。目を背けず、ただそのままに足を止めなさい。今にくつろぎ、生かされていることに感謝し、体験の全てを新鮮に感じとることができるなら、あなたは栄光の旅人となるのです。


 時とはデジタル時計ではなくアナログの連続体であり、秒単位ですら粗いのです。創造とは秒単位未満に連続体として出現していて、それは人のあり方そのものです。その秒単位に導きがあり、雑念があり、導きが解であり、雑念が問題となりますから、その比率自体が人生の満足度と言えるのです。無意識の雑念を創造行為にカウントしていないと、なぜ人生がこういう状況なのか自分でわからなくなります。


 ロジスティクス(物流において生産地から消費地までの全体最適化を目指す過程)について考えてみれば、目の前に現れているものが何でも、裏にはその現れを可能にし、維持するための物流ルートがあることが容易に想像できます。その想像という単なる想念と現れを区別しようという話ではありません。単なる想念も物質も、一なる現われとして統合的に体験できないかぎり本質が見えないという話です。


 出力を一定と捉えたり、型にはめて考えないでください。それはそう見えるはずというあなたの期待です。



最近フィオラがよくしゃべる。訳が機械翻訳みたいにぎこちないのは私のせいである。ときどき、書きとめるスピードが追いつかなくなりそうになる。昼も夜もしゃべるから、初期のすごく無口という印象は間違っていたかも知れない。私がほとんど聞き取れなかったのだろう。


そして圧倒的に聞き取りやすい時間帯を見つけた。それは日の出だ。日の出の時間に、私がある程度の意識の深度まで潜れてさえいれば、フィオラの声は言い回しまで含めて日常会話なみの精度で聞こえる。ただ4時起きはどのくらい実行できるかまったく自信がないので、よほど聞きたいことがある時だけにする。大意に絞るなら、夜でも双方向会話はなんとかできそうだ。以前使用していた簡易質問形式はもう採っていない。


ガイド自体は全員についているので、誰でも会話はできるようになると思うが、そうすべきかどうかは慎重に考えたほうがいいかも知れない。霊性の道のサポートを言語形式でわざわざ受け取るかどうかは、役に立つ、立たない、過去生記憶同様に不要だから発現していないなど色々な意見があるはずだ。そもそもしゃべらなくても、全員が個別のガイドの庇護下にある。どういうふうに見えないサポーターと関わるにしても、接触時に胸中心に「愛」エネルギーが反応し、感じとることができない意識存在の場合は全て関わらないほうが良さそうだ。安易には勧められないし、その知識もまったくない。私が愛を感知できるようになったきっかけがフィオラに接触したことだったので、私はフィオラのことは一応信頼している。言葉は脅迫ばかりでも、根は優しい…ような気がする。



あなたたちは言葉として表現することで、ものごとは現実性を帯びると考えています。ところが、私は話をするたびに、言葉に出すためにエネルギーを下げているのです。話だけで理解することは可能ではありません。人は体験を通して理解します。


これは単純なプロセスですが、その人の全エネルギーをかけた努力がなくてはなりません。神意識とは何かを発見してください。


世界最高の心理療法士のところに百五十年間カウンセリングに通ったところで、自分のなかに神を見つけないかぎり、人は孤独やみじめさから逃れられません。もちろん、外の世界のこともきちんとしなくてはなりません。これは二者択一の問題ではないのです。ただ理解してほしいのは、


魂の叫びに対して、物質界の限られた行為で応えることはできない、ということです。


今日もありがとうございました。
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