いいですか。何か「であること」が何か「でいること」の特定の形態を意味するならそれは違うのです。緊張しているなら断続している対象にしか効果がないでしょう。継続しているリアルには間に合わないのですから「ひとつ」なのです。相関まで含んでひとつです。「それそのものである」のです。「それそのものであること」ではありません。直接性を崩すなら、もう違うのです。これが何を意味するかわかりますか。あなたはリラックスです。純粋な目覚めた意識であるとは「動いているのにリラックスそのもの」なのです。直観的に意味するところを掴んでください。「ひとつであること」ではなくて「ひとつ」です。誤解されるのはここです。今の自分の何かを不完全だと感じるとすると、このありのままの流れ自体から「自分」を切り離して分析することになります。すべてひっくるめて「ひとつ」です。あなたが流れそのものであり、周囲も同じです。瞬間的に達成可能なものは炎ではなくて、瞬間的に可能なものです。カテゴライズされたものを再現しようとするのは、「それ」が起きた時に起きているのであって、起こそうとするものではありません。あなたの炎の捉え方が、それへ至ることを邪魔しているのです。「ただ瞬間」です。あなたが「ただ瞬間」です。それが「止観」です。流れから切り離されていない自身を自覚しながら観ているのです。その背景の色こそ「光」ですから、背景色にピントが合っていない無意識状態では光の明度が下がるのです。高速道路で景色が飛ぶのと一緒です。景色が流れてしまいます。「ひとつ」です。思い出しなさい。連結を可能にする連結部位とは境界のことでしょう。その境界は輪郭を意識「しない」時になされます。それは「ひとつ」の維持です。内隔音叉も同じです。発信する波形が共振を探し出すのですから、探したい目的の波形を体内(細胞)の海に流すのです。探している意識状態や感覚をイメージするだけで構いません。明晰な意識状態「ひとつ」で波形そのものとなる体内の呼応を耳を澄ますように感じるやり方に慣れなさい。あなたの探す炎は実在します。それはどこまでも自由なのです。自由であることではなく、自由です。ですから自由がリアルとして継続であり、愛と歓喜は瞬間によって生まれます。丸ごと瞬間にいないと気づきません。これが通常の意識状態からはパラドックスであるから見つけにくいだけです。「ひとつ」です。どんな意識状態にいなければ「それ」を感じることができないか考えてみれば「瞬間にいなきゃアウト」ってわかりやすいでしょうに。何かを掴もうとするから流れをせき止めて分離の立ち位置に立ってしまうのが「私」なのです。通信時の声が聞き取りにくいなら尚更「ひとつ」を維持しなさい。

…はい。

…いいパイロットの第一条件を教えて。経験?
いや、インスピレーションだな。


↑フィオラが載せるよう要求した。科学者の資質も同じだと言い添えて。


流線型を採ろう。よりシンプルに、より目的意識を強く。目指すは炎、あとは知らない。フィオラの言動は段落の先頭を一字下げる。

幼少期に何らかの不思議な体験をした者が、その一時的感覚に妄執し、疲弊しながらも探究の執着を捨てきれず、どこか狂気じみているところがあると印象を語っていたブログがあったが、まさにそのとおりだろうと思う。私がその狂気じみたものを自分で感じる。

 態度は好きです。

ありがとう。昨夜言ってた「内隔音叉(ないかくおんさ)」とは何?

 エコーのことです。

エコー?

 あなたの体内を海に見立て、波が行き渡るように内隔を探るのです。

内隔とは?

 あなたが「私」と呼ぶ境界線の観念です。二重にロックされています。

二重?

 まず内隔を特定してください。

じゃあ別のことを。昨夜見せたのは、この日記がその日の記録を書く一日前に、別の世界で何が書かれるか決まるということ?そういうイメージに見えたんだけど。

 厳密には違いますが、別の場所で書かれるという部分は外れてはいません。

わからないことだらけだね。全部聞き取りやすいわけでもない。私の集中が基準に達していないの?

 変容の過程には概ね満足しています。

こっちは実感がないなあ。まったく。

 それがあなたの弱点です。以前言いましたが自己憐憫など身勝手なだけです。

怖れに直面するのを避けている?

 頭でわかっても意味がありません。知りながら害をなすなと宣ったのはどこの…

ときどききついよね。わかりました。
目的ははっきりしている。あとのことは任せる。先手の実在を信じるよ。

 それはめでたいですね。

おめでたいね。内隔音叉やってみるよ。
今日もありがとうございました。
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