…??
フィ、フィオラ…まさかっ…!?




















 円舞をマスターするまで!アンタがしゃべる資格はない!
月にかわってお仕置きよ!




…。



(昨夜の最後の発言のつづき)
 苦しみの中に解放があるとあなたは予想しましたが、解放の中に苦しみがあったということです。だから拡張するのです。全体の地平がみえるまで。


これは効いた。ということは全体の地平がみえなくなるのは意識が縮小しているからであり、その根本的な原因は「」という観念にある。肉体をまとった時点で当然ある程度は覚悟しなければならないが、私という観念は全体「ひとつ」の「否定」によって成り立っている錯覚だ。瞬間の意識状態は「両立できない」ので、錯覚を見るのか、真実を見るのかは二者択一ということになる。「問題があるから答えを求める意識状態」では辿りつけないのだ。錯覚の根本原因はあらゆる「否定」と「陰」に現れており、まず
「自分への否定」、それ以外の「深淵への否定」を受容するという流れを通らないかぎり拡張できない。
一時的な拡張はプレゼントされることもあるが、すぐ否定によって元の意識状態まで縮小してしまう。


今ありのままのこの瞬間を「受け入れるか」「否か」。演技ではなくて、本当に心から「受け入れる」か。あるべきではない、という現状否定の想念もそのまま許される。否定を肯定に変えようとするわけではない。
今否定が「ある」ことを許され、受容されるのだ。
否定そのものが、肯定される。
フィオラは
これを「すべて」に拡張するよう誘導している
のだろう。


ということは。人生というのは、受け入れテストなのだ。


問題集はあの世で自分が自分に設定して台本を書いている。
その実技テストとしてこの世に生まれる。目的は「全問受け入れ」だ。
かなりエグイ問題も用意してあり、しかも自分の性格と過去生パターンから絶対嫌だこれというような問題を詰め込んでくる。
正解に至るための基本姿勢こそ円舞なのだろう。



 周囲の人がどれだけ愛に満ちた存在かあなたは忘れているのです。そうは見えない自分の目を今は大事にしてください。ありのまま正直に自分でいてください。わたしを信じないでください。それは自分に無責任な態度です。あなたはあなたを生きるのです。


 豊穣の大地はすぐそこにあります。映る影ではないのです。連綿とつづくあなたの灯火のなかにそれはあります。息よりも近くにあるからあなたは遠くの動くものに目を奪われて忘れてしまったのです。できるだけ何もしないでただ感じる時間をつくってください。世界はあなたで満ちています。


今日もありがとうございました。
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Fiora & nobody