スーパームーン。今夜はどうしても書きたいことがある。ある→おっけ~♪の話。それを書く前にまず黒竜(ヘイロン)の浮上の新月は7月8日だった。間違い。今夜の満月にも通信をしてみた。その結果から。



これはフィオラ。
 樽の中にワインが入っています。ワインにとっては自身が飲まれるまでワインとはわかりません。ワインが出現するのは誰かに飲まれた時です。あなたも同じです。自身がなんなのか、誰かに飲まれるまでわからないのです。あなたは自身とはなにか、いったいどのようにして決めたのですか。あなたを見た人はあなたは人だと言うでしょう。あなたを聞いた人もあなたを人だと言うでしょう。あなたは言われたとおり、人になります。それが次にどう変わるかなど、あなたは知りません。ワインにとって真実が何かは重要ではありません。ワインであるらしい自身をワインとして受け入れるかどうかこそ問題なのです。



そしてなんだかわからない人。
 「観覧せんがためのお褒めの言葉畏れ入ります」
(着物を来た昔の日本人女性が見えた。これはフィオラではない。文脈がわからず、漢字もわからず、声と光景(口の動き)だけを頼りに書いたが、わからない。外見では年の頃は16、7で、なんか糸目な人。もう一人横に同じような年頃の着物の女性がいたように、感じた。一瞬気配を感じた。時代はかなり前。言葉ではなく、話し方の雰囲気が現代人と何か違う。お褒めの言葉、チャネリング前に実行している祝詞のことかもしれない。祝詞の内容と心構えのギャップが気にいらなかったのか。皮肉に聞こえる。スーパームーンだったから、何か別の力を借りることができたんだろうか。愛と叡智に満ちた人しか呼ばないから怖くはないが、笑顔で皮肉を言われた気がする。満月でせっかくだからと思いフィオラに限定して通信しようとしなかったからかも知れない。その一言しか聞き取れず、視界も維持できなかったが、一瞬なのに深い静寂と知性を感じた)


一番書きたいことを。
昨日書いた「ある→おっけ~♪」は無条件のの発動条件だと思うし、覚醒がうまくいかない場合の根本的な解決策になると思っている。

覚醒がうまくいかないのは自分を「否定」しているからであり、特にそれが無意識の「否定」であることが一番厄介なのだとフィオラの言動から最近感じている。

当初私は、静寂と愛があったら、静寂を優先すべきなのだと思っていた。
フィオラは別意見で、を優先するようにと最初から言っていた。

あらゆる論理や教理(ドグマ)のことを今日こう言っていた。

 あるvsあるはずだ どちらが勝つでしょう。簡単にひっくり返るのはあるはずだです。

最優先されるのは「ある」であり、これは否定しようがない。
では「ある」とは何か。

それは今の個人としての自分が感じるありのままの「ある」であり、
ここに既に「見えないノイズ」が含まれている。
それは今こういうふうに「あるべきではない」という現状否定の想念だ。

たとえば子供が「早く大人になりたい」と口にする時、その子は自分が今既に持つ唯一本当の力である「ある」を受け入れていない可能性がある。

これが、あらゆる覚醒のルートと変容の過程自体を妨害する。そう思う。
何をするにしても最初に「ある」を肯定しないと、
ケン・ウィルバーの言ったように「立ち去り続けてしまう

この「ある→おっけ~♪」がエックハルト・トールの言う魔法の処方箋(これは今の自分も他人も全部受け入れる)にかなり近く、バーソロミューとフィオラには核心だ(個人化している魂にとっては「他人」や「世界」を愛し、受容することは第二段階でしかできないと考えているため)。

フィオラの言う第一の扉とは
無条件に今自分を許すことなのだ。なんの努力も、なんの訓練もいらない。
ただ、今の自分を許してほしい。
そうしなければ、何も変わらないと。私はそう最初からこの変な幽霊にずっと言われていたのだ。
たとえどんな挫折をしても、私は今のこの私を許す。そこから始めようと思う。

今日もありがとうございました。
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